車という空間は、家の中とは違うのです。
車を運転するようになったのは、
長男が幼稚園に通うためでした。
それから20年以上。
息子達の送迎がほとんど。
あるときは、食事の空間。
あるときは、着替えの空間。
仮眠や、打ち合わせの空間となりました。
バイオリンの練習時間
そうするものだと、思っていました。
たとえば、
昨日ような親戚の集まりのときも、
例外は作らず「練習しない日」は作らないように
予定を入れ替えていました。
こどもは、一度怠けると
「今日もいいのかな?特別な日なのかな?」と
戸惑うと考えたからです。
たかが20分程度の練習です。
やらなくてもいいんじゃない?と
まわりの関係のない大人は言いました。
関係ないヒトは、関係ないことです。
昨日の車の中で
夫と「バイオリンを勉強していたことで
生活の軸ができたんだろうね」
生活のリズム、
という点でもバイオリンのたった20分の練習が
家族の生活のリズムまでも整えていたんだね、
と。
ただの日々の練習です。
でも
ただの練習こそ、いつも通りに
当たり前にやる。
そんな気持ちを、息子達は受け取ってくれていると
いいな、と。
そんなことを車の中で、話したのでした。