毎日名盤第148回 バルシャイのショスタコーヴィチ:交響曲第15番を聴く | Eugenの鑑賞日記

Eugenの鑑賞日記

クラシックCDの名盤やコンサートの鑑賞日記です。

 ショスタコーヴィチ:交響曲第15番 推薦盤 バルシャイ指揮 ケルン放送響 Brilliant 1998年

 8月9日は、長崎原爆投下の日にして、20世紀最大の交響曲作曲家のひとり、ショスタコーヴィチの命日である。長崎原爆投下を最後の原爆投下にせねばならないが、残念ながら東西冷戦の時代が長く続く中、アメリカ・ソ連双方は核兵器を捨てることをしなかった。そして、現在も、世界には核兵器がいまだに数多く残っている。しかし、近年、核兵器禁止条約という条約が批准まであと一歩のところに来つつある。世界が核兵器廃絶という機運に来ているのは確かだ。人類を破滅させる力を持つ核の一刻も早い廃絶を願うばかりである。

 さて、あわや核のボタンも押されるか、というくらいに緊迫した冷戦期の半ばまで、ショスタコーヴィチは生き抜いた。68年の生涯で、生み出した作品はあまたあるが、とりわけ交響曲は15曲と、先人の大作曲家たち(ハイドン、モーツァルト以外)よりも多くのナンバーを残した。マーラーが直面した「第9の問題」を軽々乗り越え(たが、ソ連共産党とひと悶着あった)、1971年の「第15番」までを書き上げた。今回ご紹介するのは、その「第15番」であるが、この曲は、《ウィリアム・テル》序曲や《トリスタン》などが登場したり、打楽器が活躍し、トゥッティは極力抑えられていたり、とかなり特徴的である。チェロ協奏曲第2番などもそうだが、晩年のショスタコーヴィチ作品は、打楽器中心で、音響的には室内楽を聴いているような感覚に陥るし、繊細な表情の作品が目立つ。

 演奏は、ルドルフ・バルシャイ指揮のショスタコーヴィチ交響曲全集からの1枚。テンポは速く、ストレートで、何も足さず、何も引かずの演奏で、非常に冷徹な演奏だ。

 第1楽章、打楽器の活躍や、《ウィリアム・テル》などのユーモラスな要素が通り過ぎていき、突然のトゥッティ(すぐに終わる)によるクライマックス、3連符や4連符、5連符などのリズムの絡み合いなど、摩訶不思議な音楽が繰り広げられる。軽妙で在りながら、何か寂しさが漂う楽章だ。バルシャイのバランス感覚の良さがすごい。機械のように寸分の狂いもなく進行する音楽!

 第2楽章は、中間部に葬送行進曲を挟んだ、沈痛な緩徐楽章で、チェロ独奏の陶酔感などは、この世のものとは思えない。中間部の突然のクライマックスなど、「ジークフリートの葬送行進曲」にも似た輝かしさがあるが、曲はすぐに静まる。バルシャイの厳粛な音楽づくり。すると突然ファゴットが強奏、切れ目なく第3楽章へ続く。

 第3楽章は、極めて短い、「葬送」の音楽の冗談めかしたコーダのような(この点でショパンの《葬送》ソナタのフィナーレにも似た役割)役割を担っていると思う。クラリネットの諧謔的な吹奏、後半の独奏ヴァイオリンの登場など、ショスタコーヴィチ特有の、わさびのきいた寿司ネタのようにピリッとした音楽。

 第4楽章は、ショスタコーヴィチの、この世への別れを象徴するような音楽で、とりわけコーダの打楽器の活躍する静謐な場面は、ショスタコーヴィチが天国へ行きかけていることを伝えるようなミステリアスな雰囲気。

 演奏 ★★★★★

 録音 ★★★★

 総合 ★★★★★