サウンドウォーク・コレクティヴ & パティ・スミス|コレスポンデンス 

東京都現代美術館 

2025年6月14日(土)


 

 

カタカナが多くて何のことかわからないタイトルという、現代アートあるあるな展覧会です。

 

これは2組のアーティストの共作の展覧会。

 

 

  • サウンド・ウォークコレクティヴ
  • パティ・スミス

 

 

タイトルが「コレスポンデンス」。

 

コレスポンデンス  correspondence  とは通信、文通の意味で、ここでは「往復書簡」という訳が当てられます。

 

2組のアーティストが往復書簡のように、やり取りをしながら作っている作品ということです。世界各地を巡回しその場所の文化、風土を取り込んで更新したり、新作を作り続けています。


サウンドウォーク・コレクティブは、世界各地でいろいろな音を録音し、作品化しています。

 

パティ・スミスは音楽家であり、詩人でもあります。


 

展示室は壁を取り払った大きなL字型の一室になっていて四方の壁には映像が映し出されています。展示空間であり、シアターであり、インスタレーションでもあるというつくりです。

 

映像は10〜15分前後のものが8本あります。

 

《侍者と芸術家と自然》
《チェルノブイリの子どもたち》
《アナーキーの王子》
《さまよえる者の叫び 》
《メデイア》
《パゾリーニ》
《大絶滅 1946-2024》
《燃えさかる 1946-2024》


すべて観るのにおよそ2時間。中央に配置されている長椅子に座り、ひと通り見てみました。


地球規模の環境問題、社会課題、過去の映画などと、世界各地で収集した音源・映像、と組み合わせて構成した作品です。いくつか取り上げましょう。



《チェルノブイリの子どもたち》

チェルノブイリの原発事故に取材した作品です。事故当時はソビエト連邦だった場所が今ではウクライナの地になっています。人の住めなくなったプリピャチ、人の住んでいるチェルノブイリ。一方は事故の後、立ち入り禁止となり放置されて当時の姿がそのまま保存され、一方は多くの人が避難した後もそこで生活する子供を紹介します。

 何かを問いかけるというより、この静かで重い現実を突きつけてきます。



《さまよえる者の叫び 》

人類の文明により、海洋生物のイルカや鯨が生存の危機にさらされている様子を描いています。ここで使われる音源は、石油の掘削のための振動銃の音、ソナー音、鯨たちの鳴き声です。機械音と生命の音、異質なものですが同じような金属音の響きです。

 鯨の鳴き声は遠くまで聞こえることで知られていますが、人類が海中で出す様々な音が彼らの声をさえぎり、コミュニケーションを邪魔します。こうして方向を見失った鯨たちが座礁し、死骸がどこかの浜辺に打ち上げられるという被害が起きているのです。



《メデイア》

映画「王女メディア」を題材にした作品でした。本編の映像、未使用映像、撮影風景などを編集して構成しています。題名はよく聞きますが、私はギリシャ悲劇で復讐を果たした王女の話というくらいしか知りません。日本でも舞台化されています。私が思い出すのはアルフォンス・ミュシャのポスターです。



《パゾリーニ》

ピエル・パオロ・パゾリーニは前述した「王女メディア」の監督です。暴行を受けた後、轢殺という謎の死を遂げています。イタリア共産党に入党していたこともある政治的な主張を持った人物なので何かの陰謀ではと妄想をかきたてられます。この死を追求したのが「パゾリーニ」という映画です。謎解きの映画を通して謎を取り扱う入れ子構造のような作品です。

 どうせ解決はしませんから、謎を追求する過程でパゾリーニが生前批判していたファシズムを現代に投影して、見るものにその是非を問うているようにも思えます。



《大絶滅 1946-2024》
《燃えさかる 1946-2024》

 この2点は同じ構成の作品でわかりやすかったです。「大絶滅」は博物館の映像を背景に1946年以降に絶滅した動物たちの名を年代順に淡々と読み上げる作品。「燃えさかる」 も1946年以降に発生した世界各地の森林火災の起きた地名を年代順に淡々と読み上げる作品。ただ事実を述べているだけなのに、その量の多さに圧倒され、人類の行い対する問いかけが重くのしかかってきます。

 

 

 

11    沈黙  ステファン・クラスニアンスキー&パティ・スミス

 

この作品はサヌカイトの廃材を集めた石庭です。サヌカイトは香川県で産出する安山岩の一種。古には石器の材料として使われていました。叩くとカンカンと良い音がするので、実業家の前田仁という方が楽器の制作に取り組んでいました。

 空いている円い穴は楽器を作る時に円筒形に石をくり抜いた跡。楽器の抜け殻のサヌカイトは音を発する部分を抜き取られた音無き音の姿。そしてタイトルの「沈黙」とは音の無い意志ある状態のことです。この庭にサヌカイトに秘められた音を感じます。


 

7 無題  ステファン・クラスニアンスキー&パティ・スミス

 

中央の大きな花は日本の古書にあったものを転写、拡大したそうです。上の写真では見えませんが、パティ・スミスが植物の輪郭に沿って詩を書き込んでいます。広島、長崎の原爆、チェルノブイリ、福島の原発事故について触れたものです。ちょっと強引な気もしますが、この影のような花が原爆被害のデスマスクのようにも見えてきます。



9 無題  ステファン・クラスニアンスキー&パティ・スミス

 

太宰治「人間失格」は英訳では「No Longer Human」なんですね。日本語より容赦ないニュアンスを感じます。パティ・スミスがどうやって太宰治に辿り着いたかわかりませんが、仏像をシルエットに描かれた手書きの文字はイマジネーションを掻き立てられます。

 

 

5 仏陀の背  ステファン・クラスニアンスキー&パティ・スミス

 

阿弥陀仏はすべての衆生を救う。誰にも背中を見せることはない。そういう話に着想を得て、あえて仏像の背中を作品にしました。

 これが人間の背中であれば置き去りにした何か、見落とした何かを揶揄するような意味合いになるのでしょうが、仏様ですからね。一切衆生見落とすことはないその後ろ姿は何を意味するのでしょうか。


 

 


ファインアートというのは感性に加えて高い教養と深い洞察がないと理解しきれない作品を指すという考えがあります。コレスポンデンスの作品は世界各地の歴史、文化に取材した示唆に富むものですが、目のつけどころがマニアックな感じがするのも否めない。

 

情報を足して複雑になり、見る時に長い注釈を読むことが必要な作品は見る側も結構疲れると感じました。気持ちいいだけがアートではないのは、百も承知していますが。


 

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