ミロ展

東京都美術館

2025年4月5日(土)



ミロです。誰でも知っている西洋美術の大御所の展覧会。さすが東京都美術館。


ジョアン・ミロは1893年、スペインのバルセロナの生まれ。子供の頃、絵に興味を持っていましたが親の意向もあって薬局で会計の仕事につきます。しかし諦めることができずに18歳で画家を目指します。


この時期、フランスのパリでは新しい芸術運動が起きていて、ミロはその風を受けて新しいアートの道を突き進みます。


初期は印象派の風景画、静物画などの工夫を取り込もうとする絵画を何点も描いています。その後、20代でシュールレアリズムに傾倒しますが、ダリ、マグリットのように写実的な作風には進まず、対象を大胆にデフォルメする方向を究めていきます。


ミロの絵画はシンプルな形態でも、カンディンスキーの抽象画のように何かわからない形ではなく、人、女性、男性、鳥など描いている対象が何か想像できるものが多いです。それは記号的な役割を果たし、ミロの作品に親しんだ者であれば造形言語として機能するようになります。こうして、時が経つにつれスタイルが浸透、確立していきます。


ミロの生きた時代、ヨーロッパは二度の大戦があり、スペイン内乱(1936〜1939)がありました。社会情勢の不安はミロの創作活動にも影響を与えていて、抽象的な画面でも心理的な変化を反映しています。



紙に水彩で描いた「星座シリーズ」全23点のうち3点が展示されていました。ミロの作品にしては小さいものです。今回まとめて見た中でこれが一番良かったです。微妙な色彩で印刷や写真では印象が変わってしまいますが、ポスターになっているのがこちら。



47  カタツムリの燐光の跡に導かれた夜の人物たち


この青と赤、これはこれで悪くないですが、ここまでコントラストは強くないです。題名がシュールレアリズムっぽいのでググったところ、カタツムリに燐光を発するものはいません。しかし妄想が掻き立てられる題名ですね。ノロノロ進むカタツムリが、暗闇にボウっと青白く光り、後に残る粘液が月の光を反射して輝く。その跡を辿って夢遊病者のように人々が続いていく。

 何を考えているかわからないカタツムリに導かれる人々。戦火で混迷する不透明な時代の暗い世相を感じさせました。



45  明けの明星

グアッシュの微妙なグラデーションの背景が綺麗。グラデーションは透明水彩の方が綺麗に出るものですが、グアッシの少し澱んだ感じがいい味を出しています。右上の十文字が、明けの明星でしょう。

 実際に明けの明星を見て描いたのかもしれません。輝く星は誰からも同じに見えても、地獄のような戦場にいる人もいれば、静かな農村にいる人もいる。人間の生きる地上の世界の混沌と、天上の世界の不可侵の静謐さのコントラスト。空を見上げながら、不条理な世界の美しさに心を奪われたのではないでしょうか。



46  女と鳥

濃い背景。額縁がやけに立派なのが目につきますが、作品も負けていません。

 ミロにとって女も鳥もよく描くモチーフです。古代の壁画や彫刻のように、女性なら乳房や性器を、鳥ならクチバシや羽を、それらしい形をしたパーツがありますから、初見でも何となくわかります。しかし、この作品はパーツがバラバラでどこか何なのかは判別がつきません。一方で散らばめられた断片が動きとリズムを生んでいます。この躍動感は空を行く鳥の姿に自らの想いを託す女の心情を表しているのか、或いは飛来した鳥の姿に何かを予感して胸騒ぎを覚える様子を表しているのか。

 様々な妄想が広がります。



97   バルサ FCバルセロナ75周年


サッカーの強剛チーム、FCバルセロナの75周年記念のポスターです。ミロの方が年上で当時81歳。バルサはレアル・マドリードと言語も異なる違う文化圏。日本における巨人阪神(阪神巨人?)以上のライバル同士。敵を食い尽くすような力強さがみなぎる作品です。



81   逃避する少女


ミロはシュールレアリズムのアーティストですが、それより前衛のアーティストという方が合っています。異なるモチーフを組み合わせて新たな意味を与える、自分のスタイルが確立した後も、既存の枠組みを壊すような手法に積極的です。



88  焼かれたカンヴァス2


一度完成させた作品に火を放ち、二次元の枠組みから作品を引き剥がす。ミロが最初に発想した手法ではないと思いますが、次々と試していく。出来上がった作品に意味があるのか、意味などないのか。それを見極めためにやっているのか。



89  スブラテシムー袋 13


ベースになる布地を用意し何かを付け加えていく作品です。「スプラテシム」と呼ばれています。手の温もりが残るような感じから民芸品と位置付けていたそうですが、基本的にはコラージュの一種に見えます。とにかく手を動かして何かを発見しようという意図を感じます。



90  花火  Ⅰ

91  花火  Ⅱ

92  花火  Ⅲ


カンヴァスに絵の具を投げつける、ドリッピングのような描き方。いわゆるミロらしい作品とは違うアプローチです。年をとってからも新たな表現に挑戦するところに若々しさを感じます。






晩年には大型な作品、彫刻など表現の幅を広げていきます。大阪万博での日本との縁も深く、世界的なアーティストとになりながらも既存の枠組みを超えることに意欲的なアーティストだったということがわかります。


多くの人に愛される作品を作る一方で、常に前衛的な姿勢を崩さなかったミロの魅力を再認識した展覧会でした。


 

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