相国寺展 ― 金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史
東京藝術大学大学美術館
2025年3月30日(日)
室町時代の美術なら足利義満の金閣寺、足利義政の銀閣寺と、歴史の教科書的な連想をして「相国寺」はピンと来なかったのですが、この展覧会でつながりました。それが最大の収穫でした。そこから確認しましょう。
相国寺は足利義満の発願によって作られたお寺。金閣寺(鹿苑寺)も銀閣寺(慈照寺)も相国寺の寺院のひとつです。つまり、金閣寺・銀閣寺が凄いということは、相国寺が凄いということです。相国寺の凄さ、わかりましたでしょうか?
相国寺は臨済宗相国寺派、開山は夢窓疎石(むそう そせき)です。開山とはお寺を作ることです。夢窓疎石は多くの寺を各地に開山しています。相国寺ができた時、亡くなっていたのですが名前だけでも使われるほどの偉い僧でした。
はじめに夢窓疎石の書を紹介しましょう。
5 夢窓疎石墨蹟 応無所在 而生其心
「応に住する所無くして 其の心を生かすべし」
臨済宗は禅宗です。特徴は看話禅であること。いわゆる禅問答、公案という矛盾した問いを禅を通して解き明かすのが修行です。その心を端的に述べた墨蹟。執着することなく、自在に心を働かせよ。言うのは容易ですが実行は難しい。
6 夢窓疎石墨蹟 別工夫無
「別に工夫無し」
凄いことを成し遂げるためには、何か特別のやり方、激しい取り組みが必要と思いがちですが、目の前の当たり前のことをひとつひとつ進めることが、大切であるということです。似たような言葉は、現代でもありますよね。
さて、ここからは絵画を取り上げます。室町時代は中国から多くの文化が入ってきました。相国寺はその中心ですので、中国画が多く展示されています。
32 鳴鶴図 文正筆
展示されていた中国画には花鳥風月を色彩豊かに描いたものが何点もありました。しかし私はどうも技巧的過ぎてあまり好みではなく、むしろこの二幅の掛け軸の方が良いと思います。右が飛ぶ鶴。左が地に立つ鶴。シンプルな構成で無駄がない。私が日本人だからかもしれませんが、描き込みすぎて情報量過多なものより、こういう絵に強さを感じます。
50 墨梅図 永公筆
紅白梅図です。墨だけで描いているのに、はっきり紅梅と白梅の区別ができます。それどころか、色を感じます。背景に薄墨をひいてあり、白梅の白が際立つようにしているのですが、この微妙な明度の差でもメリハリがあるのは不思議です。
47 墨梅図 伝如拙筆 絶海中津讃
枝垂れの梅図です。紅梅のみで背景に墨を敷いているようです。幹の部分は描いておらず、縦長の画面の上から下へ枝が垂れて画面いっぱいに梅の花が配置されています。梅の花は桜のように咲き誇りませんから、梅の絵も余白の大きいものが多いですがこれは賑やかな梅図です。
52 十牛図巻 伝周文筆
十牛図は禅によって悟りに至るまでの修行の段階を十にわけてわかりやすく説いたものです。禅宗の画僧はよく描きます。
十の段階とは、尋牛、見跡、見牛、得牛、牧牛、騎牛帰家、忘牛存人、人牛倶亡、返本環源、入鄽垂手。
簡単に言うと牛を悟りに例え、前半は牛を探して捕まえ、後半は牛を忘れて元に戻るというもの。
巻物に10点の図が描かれています。どの絵も円い形の中にまとめてあります。牛や牛を探す男、野外の景色と描く要素も多彩で、描写も繊細です。
63 鳳凰石竹図 林良筆
伊藤若冲が参考にしたともいわれる中国の水墨画。中国の色のついた花鳥風月の絵が何点もそばに展示されていたのですが、この水墨画が圧倒的でした。岩の上に立つ鳳凰の姿。大胆な筆使い、しかも多彩な技術をパッチワークのように使い分けて描いた鳳凰の異形ともいえる佇まい。凝りすぎて破綻するギリギリのさじ加減でまとめています。
76 異国通船朱印状 西笑承兌筆
学校の歴史の授業で習う朱印船貿易に使われていた朱印状の実物。初めて見ました。とてもシンプル。真っ白な和紙に墨でわずか4行、そして大きな四角い朱印。偽造されないのでしょうか。
95 飛鶴図 狩野探幽筆
一羽の鶴が岩壁の近くで海(川?)の上を舞う姿を描いた絵で中国画を模倣したものです。狩野派の中でも探幽は研究熱心で模写は多く残っています。今回中国画が多く展示されていて、それらを見た後に見ると、本当にそっくりです。
118 鹿苑寺大書院障壁画 伊藤若冲筆
鹿苑寺とは金閣寺だけではありません。鹿苑寺大書院は、金閣寺とは別の場所にあります。その大書院の襖の水墨画を伊藤若冲が手がけています。葡萄図、松鶴図、鶏図、と、いくつもの部屋を手がけており、入り口から奥の部屋に入るにつれて、シンプルな絵から迫力のある絵に変化していきます。
141 売茶翁像 伊藤若冲筆 梅荘顕常讃
売茶翁(ばいさおう)は凄い人なのですが、あまり取り上げられないのは何故なのでしょう?黄檗宗の僧で、61歳の時に上洛して、茶道具を担いで野外で人と話しをしながら煎茶を振る舞うという禅者らしい暮らしぶりをするようになります。若冲とは親交があり、だから肖像画を描いたのでしょう。執着のない奔放な性格を感じます。
146 散花紋天目茶碗 𠮷州窯
天目というと、窯変天目を思い出します。これはあれとは違い、お花のような模様が散らばめられた装飾的な可愛らしい茶碗です。確か松平不昧が所有したことがあるものだそうです。
164 萩芒図屏風 長谷川等伯筆
長谷川等伯もありました。 六曲一双の大きな金屏風です。左隻は芒、右隻は萩。金地の画面いっぱいに芒(すすき)と萩しか描いていない。風景ともパターンとも見える、現代的、前衛的ですらあります。
170 七難七福図巻 円山応挙筆
人生に起こり得る災いと幸せを描いた巻物です。円山応挙らしい、緻密で妥協のない絵が見応えあります。七難は天災編と人災編の二巻。七福は一巻という構成。
天災では、大蛇、狼、地震に襲われる人々。(大蛇は大きく過ぎて非現実的ですが。)人災は追い剥ぎ、強盗、など。(そのまま描いています。)
七福は、農民、職人、貴族と階層ごとに、豊かな暮らしをしている様を描いています。
脈絡もなく、作品を取り上げてしまいました。作品だけみると共通点がわかりにくいですが、すべて相国寺でつながります。
相国寺は室町時代以降、現代まで存続しています。初期の中国の文物が中心だったところから、多くの画家たちがそこに学び、安土桃山時代、江戸時代と日本独自の文化を生み出す礎となりました。雪舟、伊藤若冲、狩野探幽、もその流れに入ります。
重文、国宝も展示されていて個々に見るべきものもありますが、私には相国寺の歴史的な存在意義を感じることができ、ためになった展覧会でした。
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