ボッティチェリ 美しきシモネッタ 特別公開展

丸紅ギャラリー

2025年3月22日(土)



丸紅が所蔵しているボッティチェリの絵画「美しきシモネッタ」の特別公開展です。




丸紅ギャラリーは美術館ではありませんので、常設のコレクション展は行っていません。せっかくの機会ですので、その辺の情報から確認していましょう。


  

  丸紅ギャラリー


丸紅は日本を代表する総合商社です。創業は1858年(安政5年)、江戸時代。近江商人の伊藤忠兵衛の麻布の"持ち下り商い"から始まりました。それから凄い勢いで商いの幅を広げていきますが、第二次世界大戦後の財閥解体によって、丸紅となりました。


戦後1969年から美術品の輸入事業に参入。ギャラリーも創設しイギリスのマーガレット王女も見学に訪れています。10年間ほどの取り組みで終わっていますが、この時期に「美しきシモネッタ」を手に入れました。


元々繊維を生業としていたので、染色品(着物、能装束、裂など)、染色図案に充実したコレクションを所有。それに国内外の絵画を合わせた3つの分野が現在の丸紅コレクションの中核です。


現在の丸紅ギャラリーは、2021年11月にオープンし、年に数回展覧会を開催しています。



  サンドロ・ボッティチェリ


サンドロ・ボッティチェリ(1445ー1510)はイタリアのフィレンツェの生まれです。父は皮なめし職人で4人兄弟の末っ子でした。フィリッポ・リッピなどの元で修行。メディチ家の保護を受けて多くの作品を残しています。ルネッサンス初期の作品、「ヴィーナスの誕生」「プリマヴェーラ<春>」が代表作です。文字通り、ギリシャ神話のヴィーナスを主題にしています。人体の把握は写実的ですが陰影ではなく線で描いています。空間処理は平面的で、小さい花々などの事物まで繊細に色鮮やかに描写し装飾的な印象も与える個性的な作品です。この作品のモデルがシモネッタと言われています。



  シモネッタ・ヴェスプッチ


シモネッタ・ヴェスプッチはジェノヴァの生まれ。結婚してフィレンツェに住むようになりました。
フィレンツェ一の美男子と言われたジュリアーノ・デ・メディアの「愛人」でもあり、誰もが知る美人でした。23歳ぐらいで亡くなっていて美人薄命という言葉が当てはまるタイプです。彼女にインスパイアされた絵画、詩などがいくつも残されています。

ボッティチェリも彼女をモデルに何点も絵を描いています。「プリマヴェーラ<春>」では、描かれているどの女性がシモネッタか専門家の意見が分かれていて、中には全員シモネッタ説まであります。



 

   美しきシモネッタ

 

そして、この作品です。実物を見て思い出したのですが初見ではありませんでした。確かこの時代の作品をまとめて構成した別の企画展で観たよう気がします。


シモネッタの横顔を描いた作品は5点存在し、これは最初に描いたものと言われています。真横の横顔の肖像画は当時はベーシックなものでした。


来歴が華々しく、ジャン・バティスト=ピエール・ルブラン(マリーアントワネットを描いた女流画家

エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの夫)が購入。その後、イギリスに渡り、続いてドイツの医師の保有となりました。第二次世界大戦の頃にナチスドイツに接収されますが、ドイツが敗北して、持ち主に返却されました。その後のイギリスに渡り、そして丸紅の所有となります。(どういう経緯で入手したのか説明がありませんでした。とても気になります。)


日本に来た当時、ネックレスの真珠の配置が過去の図録と異なっていることがわかり、贋作の疑いをかけられたこともあります。真贋鑑定を依頼し科学的分析により修復の痕跡が確認されて、本物であると結論づけられました。


私の印象は、顔、頭部の描写は丁寧。衣装の肩のレースの描き込みはとても繊細ですが、身体とのバランスがおかしい。赤い衣のドレープの陰影の描写や、窓枠のような四角い背景はあまり描きこんでない。全体として完成度はあまり高くない。


この絵の題名は日本のボッティチェリ研究の第一人者、矢代幸雄が「美しきシモネッタ」と呼んだのが始まりです。ネーミングが良かったですね。観に行きたくなる作品名です。この絵の魅力は顔にあり、シモネッタという美女の伝説にあります。それを端的に伝えています。


この企画展は「美しきシモネッタ」だけを紹介したもので、コンパクトでよくまとまっていておすすめです。東西線の竹橋駅のそばにありますからの、東京国立近代美術館に行った帰り覗いて見るのも良いかと。何といっても日本で唯一のボッティチェリですから。

 

 

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