田中一村展 奄美の光 魂の絵画
東京都美術館 企画展示室
2024年11月17日(日)


なぜかとても混雑していました。田中一村はいつの間にこれほど一般の人気を得ていたのでしょう。


今まで晩年の作品しか見たことがありませんでしたので、ほぼ生涯を網羅したこの企画展で、初めてその歩みを知ることができました。



  第1章 若き南画家「田中米邨」東京時代


009  「池亭聞蛙」
10代の頃は神童でした。いや、7〜8才の頃から神童でした。この絵は14歳で、初めて本格的に掛け軸に取り組んだものと言われています。池にのほとりに建てられた東屋でくつろぐ人。水辺をとりまく木々、水面に群生する草、浮かぶ蓮の葉と花。
 この後、次々と掛け軸を描いていきます。20才になるまでに描かれた掛け軸がたくさん展示されていました。若き南画の天才といえるでしょう。東京芸術大学に一発で合格するのも納得がいきます。技術の習得が早いということは、描くのも速いということのようです。


023  「明月前身図」
月夜に映える白梅の水墨画。画面は真っ黒になるほど、枝と梅の花に覆われています。画題を知らなければ、何が描かれているかわからないくらいダイナミックな筆致。標準的な南画がどういうものかわからないので断言はできませんが、濃く描き込み過ぎる癖があるように感じます。
 葉の一枚一枚、花の一輪一輪までキッチリ捉える、観察眼のあるとても目の良い人だったのではないでしょうか。描かずにいられない。この特徴は生涯続いていきます。


027   蘭竹図/「富貴図」衝立
 衝立の両面に絵が描かれています。一方の「蘭竹図」は、金地に墨で描いた蘭と竹の水墨画。かなり黒いのが特徴。濃淡の調子はつけてはいますが、淡い部分も黒め。総じて濃くしてしまう傾向があります。竹の葉の描写は執拗で過剰なまでに描き重ねています。写実的に見えるので写生に基づくものかもしれません。左上には讃が細かい字でびっしり書き込まれています。それもまた一村らしさと思います。
 反対の面は牡丹が全面に描かれています。赤、白、ピンク、花びらが細やかで、緑の鮮やかな葉、画面の端に舞う蝶や蜂、と彩りの華やかな吉兆画です。 


035  木魚
田中一村の父親は彫刻家でした。そのため、幼少から彫刻にも親しんでいて、小さな彫り物も展示されていました。木魚は楽器ですので、形が同じであれば良いというものではありません。この木魚は実用品としてお寺で使用していたので、腕も確かだったようです。


048  椿図屏風
二曲一双の屏風。

右隻は画面一杯の椿。葉の濃い緑、椿の花は赤、白に赤い模様が入ったものとシンプルな配色。これも過剰な感じですが、一方の左隻は何も描かず金地のまま。広い空間を表現しています。田中一村は20才の頃には南画から離れて新しい画風への模索を始めていたようです。余白をもうけているのは、そのための一歩ではないでしょうか。


074   秋色
秋の草木が全面に描かれています。一本一本、一葉一葉丁寧に描きこまれ画面を埋め尽くしています。晩年の作品に通ずるものがあります。

第1章は20才くらいまで。この頃は田中米邨と名乗っていました。東京藝術大学に一発で合格を果たしながら2ヶ月で退学します。事情は不明です。掛け軸が何点も残っていますので、絵を辞めた訳ではありません。精力的に描き続け20才には南画の技術を習得した感があります。そして伝統的な画題から脱皮し、独自の画風の模索を始めています。


  第2章 千葉時代「一村」誕生


ハッキリ述べますと、この千葉時代は模索の時代でした。20代では、弟、父の逝去など身内の不幸が重なります。29才で千葉県に移住。名前も柳一村と変えます。

千葉県の風景を色紙によく描いています。なにか絵葉書のような作品が多く、飾るにはいいが芸術的な魅力が薄い。人や仏、鳥を描くのはイマイチで、植物が得意です。富岡鉄斎風な仏の絵もありますがパッとしない。そもそも描く対象として興味がなかったのかもしれません。

40代では日展、院展、に出品するも、ことこどく落選。新しい自分の絵を求めて奄美へ行くことを決意します。


  第3章 己の道 奄美へ


奄美に移住してからの画風の変遷はいろいろあり興味深いのですが、最後の展示室が結論です。田中一村といえばコレという奄美の島の自然をとらえた絵がとても魅力的で、この展示室なら何時間でも絵を見て過ごすことができます。

南国の生命力に満ちた自然の姿が、田中一村のエネルギッシュな感性にフィットしたといえます。


293   奄美の郷に褄紅蝶
左に枇榔樹(ビロウジュ)、右上に南国の果実がなっている。中央に褄紅蝶(ツマベニチョウ)が舞っている。奥にはうっすらと島の遠景。構図といい要素といいバランスが良いのですが、一村らしさは少し薄い感じもします。


295   草花に蝶と蛾
中央に蛾、周りに蝶が舞う。背景の足元に生える葉を塗りつぶす黄緑色の淡い色彩が、一村の見出したコントラストの落とし所と思います。晩年の絵も画面一杯に植物を描きこむ癖は変わっていませんが、少しコントラストの強さの加減が落ちて、刺激が抑えめとなり見やすくなりました。


297 枇榔樹と浜木綿
中心に枇榔樹。墨で描かれた熊手のような形のうす黒い葉が画面を覆い尽くしています。下の部分、手前の浜木綿の白く細い花が引き立って見えてきます。この過剰さの中の繊細さが、なんとも言えません。加減を知ったのだと思います。


298   枇榔樹の森に浅葱斑蝶
田中一村は奄美に生息する蝶の絵を何点も描いています。浅葱斑蝶(アサギマダラチョウ)は青いマダラ模様の蝶です。一村にとって南国の蝶の羽の派手な色彩と複雑な模様は自然の造形美の極致、象徴と見えたのでしょう。「美は細部に宿る」と言いますが、森に舞う蝶たちはまさに美の化身に違いありません。


300   枇榔樹の森
黒い枇榔樹の葉の幾何学的模様が画面全面を覆い尽くしています。葉を墨で描くというのは、初期の水墨画に通ずるものがあります。ですが、この墨はモノクロームではなく、色の一つとして使われています。では、なぜ黒なのか。
これは奄美で枇榔樹を見ないと確かめられませんが、強い日差しの森の中で濃い緑の葉が光の影になった時、ほぼ黒く見えるからではないでしょうか。絵で見た時は作者による象徴的表現、ないし抽象的表現に見えるものが、実は見たままだったということはあります。


301  「アダンの海辺」
この絵は他の絵と全く異質です。主題は手前の植物ではありません。一村本人も言及していて、主題は植物ではなく奥行きのある景色の方。砂浜と打ち寄せる波のリアルな描写。視線は自然と手前の植物を飛び越えて、後方の海に誘導されます。
他の作品から何段階も飛躍した、まさに新境地。もっと長生きしていれば、新しい一村の作品が見れたことでしょう。



1977年69歳で逝去。まだ若かったと思います。間違いなく一つの境地に達した画家ですが、時が許せば更なる高みも見せてくれたのではないでしようか。

奄美の田中一村記念美術館には必ず行こうと思います。


↓ランキング参加ありがとう中!押していただけると嬉しいです!

にほんブログ村 美術ブログへ