元湯 環翠楼
2024年9月22日(月)
箱根の温泉宿に宿泊し、箱根の美術館に行く。
これを年に一度のルーチンにしようと企んでおりまして昨年は「富士屋ホテル」に行きました。
そして今回選んだのは「元湯 環翠楼」。箱根塔ノ沢にある旅館。慶長19年(1614年)から現在まで、400年以上にわたり営業を続けている老舗です。
400年の間に主人が変わっており、現在の建物は
大正時代に建てられました。およそ100年前です。四階建ての木造建築で川岸にあるため入口は二階になっています。
登録有形文化財です。
「環翠楼」の名は明治23年、ここに宿泊した伊藤博文が主人に与えた漢詩の一節からつけられました。
この木製の看板は木彫り象嵌です。筆のかすれた感じもよく再現しています。
明治の始め、脚気を患った皇女和宮が静養のためにここに逗留し、亡くなりました。使っていた品々残っていて展示されています。
その後、天璋院篤姫も和宮を偲んで訪ねています。明治から昭和にかけて政治家などの名士が多く訪れるようになるのは、そのような歴史もあるからでしょう。
四階
見どころは四階の大広間。なかなか立派です。
神代閣広間
上の額は石塚仙堂による陶淵明の「帰去来」。偉い政治家の客が多い旅館ではこういう画題が好まれるのでしょう。
そして襖の花鳥図。仙台菱畝のもので最近修復したばかりで状態が良いです。薄暗い屋内の梅の花は立体感があって雰囲気がありますね。
小琴秀方の浮世美人画屏風。
外の景色の見える額入り障子。ガラスは昔のものらしく少し歪みがあります。
万象閣
舞台の奥が杉戸に松という典型的な大宴会場。写真の上の部分が切れて見えませんが、二重折上格天井になっています。天井には洒落た電灯に、真ん中にシーリングファン、隅に見えるスピーカーなどの電気設備に20世紀レトロを感じます。
蓬仙閣会議場
この建築は大黒柱のない「総もたせ」という造りで現代では再現が難しいそうです。設備を増設するのがはとてもコストがかかりそうで、古い建築の維持は大変そうだなあと思いました。
名士ゆかりの品々
孫文の書です。中国人観光客が喜びそうです。「山清水秀」は「山紫水明」と同義です。山の木々の緑、澄み切った水の美しさ。川沿いの宿にふさわしい言葉です。
犬養毅の揮毫。
論語の一節、「仁者不憂、智者不惑、勇者不懼。」が出典。君子たるものの三つの条件です。政治家としての心得を書いたものでしょう。
第18代横綱大砲万右エ門の手形。
このほか、近代の文明の品々もあります。
電話です。当時の最新の電気製品が残っており繁盛していたことが伺えます。
企業が寄贈したものもありました。キリンビールの大きな鏡が洗面所や廊下にありました。私が気になったのはこちら。
浅草の「来々軒」は日本で最初のラーメン屋です。当時は大繁盛していたので金銭的にも余裕があったのでしょうね。
非常口の誘導灯があまりに大きいので、笑ってしまいました。他の場所はもっと小さかったので。消防法でもこんなデカいものをつけなければならないと決められていないでしょう。しかし、もしもの時にあの大きい誘導灯のおかげで脱出できましたということもあるかもしれません。備えあれば憂いなし。でもねえ。
それから私が宿泊した部屋の写真はこちら。
二階の「寿慶」です。川沿いの部屋ですから紅葉の季節なら外は見事な景色でしょう。
夜になってわかったのですが、川の音は眠るには結構うるさいですね。天気が雨で水量が多いのもあったのかもしれません。
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