第8回横浜トリエンナーレ 野草:いま、ここで、生きてる

2024年5月3日(金)


 

横浜トリエンナーレは第8回を迎えました。リニューアルした横浜美術館と合わせて主な会場は3カ所。


  • 横浜美術館 
  • 旧第一銀行横浜支店
  • BankART KAIKO

 

 

今回はキュレーターの意思が強く反映されたトリエンナーレでした。タイトルの中にある「野草」という言葉に野に咲く花みたいな牧歌的なイメージを持っていましたが、そんなヤワな意味ではありませんでした。

 

国家、権力に対する草の根の個人とも言うべき意味で、個人の表現の極地たるアーティストの連帯こそ世界の課題に対抗できる、そんな想いを感じました。


キュレーターの中国人アーティスト、リウ・ディン、キャロル・インホワ・ルーの二人に企画を託した事務局に敬意を表したい。中国のアーティストは、日本人より社会的、政治的なテーマに対して前のめりで日本の近代史についても造詣が深いと感じました。



実際、最初の展示室から政治的な作品が溢れて、困惑した方もいそうです。私もその一人でした。


アートができることは何か?新自由主義が主流になりつつある世界で持たざる者はどうやって不遇な境遇から抜け出せるのか?

 

1900年以降から現代まで、闘争めいた作品を何点も取り上げています。

 

ジョシュ・クライン

 

今話題の生成AIにとって代わられてしまう人たちの末路を表現。弁護士、秘書など用済みになってビニール袋に放り込まれうち捨てられている。社会に大きな変革が起きる時、階級も覆ります。明日は我が身と思うか、調子にのっていた奴がいい気味だと思うか。

 

 

トマス・ラファ


世界各地の政治的デモの様子を映した映像作品。日本ではそのスジの専門家の集まりのように見えるデモですが、海外は違うように見えます。移民の拡大に反対といった理想と現実が衝突する問題に対して、自ら行動してアピールすることが少ない日本人も変わって行くのでしょうか。

 

 

インゴ・ニアマン/エリック・ニードリング


人里離れて自然で独りで暮らす男のモノローグ。自然の中で心静かに生きているのかと思えば、文明や歴史についての哲学的な考察が続きます。生活を変えても、心の中に自然が溢れる訳でもない。休暇をとっても仕事が頭から離れない日本人のように、人はなかなか変わらないものです。

 


浜口タカシ


日米安保をめぐる学園紛争などの記録写真。政治活動が暴力を伴うことは世界的は珍しくありませんが、今日の日本では歴史上の話になっています。豊かさが奪ったこの国の暴力性は貧困によって蘇るかもしれません。


 

エクスパー・エクサー


香港のミュージシャンにして現代アーティスト、エクスパー・エクサー。聞いたことがないのですが、たくさん作品が展示されていました。この猫はパフォーマンスの舞台で使ったオモチャで、ステージでの緊張を和らげる意味もあったそうです。

 今の香港のアート界はどのような感じなのでしよう。中国では表現の自由が規制されているといいますが、中国の現代アーティストは日本より過激な表現を好むようにも見えます。

 


リタ・ジークフリード

 

不思議な雰囲気の風景画を描きます。緻密でリアル、画面の隅々までフォーカスが合っていて、非現実的な印象を与えます。想像で構築して描いたのか、実際の風景を見つけたのか、構図や切り抜きかたも巧妙です。ポツンと座る1匹の犬が寓意を匂わせます。


 

ジョナサン・ホロヴィッツ


アメリカではエッセンシャルワーカーが移民によって維持されていることが、コロナによって顕在化されました。被写体は「アメリカ合衆国は移民を受け入れろ。」と主張する人々。アーティスト自身の直接的な表現でもなく、記録写真とも違う、それでいてメッセージの明快な作品です。

 

 

ラファエラ・クリスピーノ/オズギュル・カー

 

左側の鏡の壁はラファエラ・クリスピーノの作品。

上部のネオン管の白い文字はSF小説「惑星ソラリス」からの引用。


We don’t want other worlds, we want mirrors.

 

我々は別の世界を必要としているのではない、

我々は鏡を必要としているのだ。


人間は世界の不可解を受け入れることができるほど賢くはない。自分の知っていることを受け入れるだけ。宇宙の神秘、真理に対して用いる言葉なら諦めもつきますが、政治的な文脈の芸術祭においては、人間は自己の主義主張以外は受け入れることはできないという世界の変わらぬ対立の構図とも読めてしまい暗い気分になります。


右側の奥の縦長のディスプレイに表示されている骸骨の映像作品はオズギャル・カー。骨の楽器を奏でる骸骨の姿はこの細長い画面に合いますね。会場のあちこちに展示されています。社会的な表現のそばでメメントモリと囁いています。

 

 

佃弘樹

 

日頃心に浮かぶ色々な妄想を二次元に叩きつけ、近未来的な世界観を作り上げる日本アーティスト。子供の頃から触れてきたアニメ、ゲームなどのイメージを源泉に描いています。左の作品を見て「北斗の拳」のジャギを思い出したのは私だけでしょうか。



アネタ・グシェコフスカ

 

今回もっとも好きな作品。ある種の皮膚感覚のようなものが立ち上がってきます。


自分の姿を模した胸像をつくり、自分の娘と遊ばせています。次第に打ち解け(?)ていき、胸像と遊ぶ様子を捉えた写真を見ていると、人間が他者と関係を作る能力の高さに気づかされます。

 


静謐で落ち着いたモノクロの画面がかえって生々しさを引き立てます。



丹羽良徳

 

自らに設定したルールに則り行動するパフォーマンス作品。社会のルールに対して疑義を投げかけるのがテーマ。足場の周りに政治スローガンの体裁で描かれているのがルールで、これを実際に行った記録動画も展示されています。



コンセプトは理解できるのですが実際に実行すると、おかしな行動をする怪しいオッサンにしか見えません。そう、それがアートなのです。



你哥影視社

 

台湾の工場でベトナム人労働者が起こしたストライキを作品化したもの。給料の未払いに抗議して出稼ぎ労働者が工場に立てこもりました。ストの様子はインターネットにより中継され、中の様子も知られることとなりました。常時接続された映像からはデモばかりでなく、立てこもり生活の普通な日常も流されました。闘争の中にも常に当たり前の日常があります。この環境が砦に見えるか、わが家に見えるか。

 

クララ・リデン

 

街を歩いて行く男の姿をワンカメで撮影したゲームのようなアングルが面白い映像作品。テーマは違いますが、他のアーティストでもこういう表現を見たことがあります。すれ違う通行人もそれっぽくて何が起こるか気になって目が離せない妙な魅力があります。


 

 坂本龍一

 

2006年、ビデオアートの巨匠、ナム・ジュン・パイクが亡くなった時に坂本龍一が制作したトリビュート作品。元ネタはパイクがバイオリンを引いて海辺を歩くパフォーマンス。坂本龍一もそれにならって壊したバイオリンを引っ張って歩きます。


音楽家として大家の坂本龍一が、バイオリンを壊すと、作品のもつ音楽的な意味がパイクを上回っていて単なるトリビュートを超えていきます。さすが巨匠です。

 

 

ルイス・ハモンド

 

痛みを表現することにこだわって描かれた作品です。構図は人物に寄っています。薄黒くムラのある肌はアザのようにもみえます。顔を背け表情は見えませんが却って耐えがたい痛みを耐え、それを悟られないように隠しているかのようです。肉体的な痛みではなく精神的な痛みでしょうか。絵画における人物表現にまだ見ぬ新しい可能性を感じさせる作品です。

 


志賀理江子 霧の中の対話

宮城県牡鹿半島山中にて、食猟師の小野寺望さんが話したこと


以前、東京都現代美術館で志賀理江子の作品を見ました。じっくり読まないと理解できない社会派の作品です。ここでは最近日本各地で話題になっている野生動物の駆除にまつわる話。動物は自然のままに生きているだけなのに、現代人は危ないから殺せ、かわいそうだから生かせ、など、人間社会の価値観で命を語ります。自然の中で命と対峙する食猟士の語る言葉の重みは、読んでいて息がつまります。



マイルズ・グリーンバーグ

 

自らの体の動きを3Dスキャンし、立体として出力した彫刻作品。新しいテクノロジーの使い方として面白いアイデアです。



ヨアル・ナンゴ 物に宿る魂の収穫


北欧の遊牧民、サーミ族は、なにも持たずそこにあるものを利用して生きていくのが習わしです。サーミ族の血をひくナンゴは、その土地にあるものを使い作品を作ります。

 


「彼らは決められた道を行かず、誰かが定めた秩序にも従わない」


横浜美術館の外壁に展示されたのはサーミ族の言葉を記した作品です。


 

サンドラ・ムジンガ  出土した葉



天井から吊り下げられたり、フロアから大きく立ち上がっている紫色の物体。植物のようでもあり、動物のようでもあり。横浜美術館の広いエントランスにいくつも展示された大きな作品は空想上の未知の世界の生物のようです。


 

オープングループ(ユリー・ビーリー、パヴロ・コヴァチ、アンドン・ヴァルガ)

繰り返してください


ウクライナのアーティストグループの作品。写真は動画を撮影したため、おかしな色になっていますが、実物は普通の映像です。

ロシアのウクライナ侵攻後、リヴィウにいた市民にインタビューしています。ウクライナ政府は国民にロシア軍の攻撃を受けた時の避難マニュアルを配布しました。兵器の発する音によって何の兵器か判別し、とるべき避難行動が書かれています。

インタビューを受ける市民が覚えた兵器の音(オノマトペ)を発声します。英会話の練習のように視聴している人に真似して繰り返すよううながします。




BankART KAIKO の会場の外の地面のガラスの下にモニターが仕掛けられています。


足もとに仕掛けられたモニターに映る地下のフロアに人が現れ脚立に登って、ガラスに何かの言葉を書いては消していくパフォーマンス的な映像作品。設置の妙に感心しました。



インターアジア 木版画マッピンググループ


東南アジアでは木版画のアートが盛んです。画材に費用がかからない媒体だからです。木材があれば板木にできますし、色も黒一色。大きさの自由度も高く、何枚も印刷ができます。およそ経済が強くない国である事が多いので、テーマも政治的なものが多いです。その分、メッセージが明快で力強い作品が多いです。


ヤマガタ・トゥイークスター(山形童子)


韓国では、政治活動と音楽が密接に結びついているようです。政治闘争、デモの現場に飛び込みライブパフォーマンスを繰り広げ、CD、制作物の販売も行うアーティストです。



パンカチーフ 

ナンシー・リウ、マイケル・ユン、ジョン・ユー


香港の深水ふにある布市場の移転反対運動が起きた時、市場で売られている布でハンカチを作り、店主や支援者の言葉を刺繍やプリントして配布するという活動を展開しました。香港のように社会活動が市民のレベルに浸透しているところでは、アピールの方法としてアートな表現もよく用いられます。これはかなり洗練されていると思います。

アートな表現はアートなのか?平和な国に生まれた自分はここにいつも違和感を感じます。



森山泰久


会場の外に展示されていた大型作品。ファッションブランドの大型広告のような体裁をとっています。

森山泰久の作品には珍しくコスプレしていません。いや、このモデルっぽい姿がコスプレなのでしょう。アーティストが商業的制作物の中に入り込み、生活の中に登場する。芸術祭にふさわしいメディアジャックアートです。




さて、トリエンナーレが終了してからだいぶ経ちました。出展数が多いので時間がかけた割りに、ひとつひとつの作品にはサラッとしか触れておらず、まだまだ書く力が足りないと痛感した次第です。


今回は社会運動の色彩を帯びた作品が多数展示されていました。執筆に時間がかかったのは、背景を把握するのに時間がかかったからと言い訳をしておきます。こういう作品をパッと見て感じるに任せるほどの知識や教養は持ち合わせてはおらず、普段から勉強も大事だと思いました。


久しぶりの横浜トリエンナーレは面白かったです。芸術祭が各地で開催され都市型の芸術祭は差別化が難しくなっている中、アジアのアーティストを集め、今日の課題に向き合っていくのは正攻法といえます。アートの楽しさより、アートの存在意義を示すことがこれからは重要になってくるでしょう。



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