デ・キリコ展
東京都美術館
2024年5月2日(水)
違和感を感じた展覧会だった。
私の知るキリコ、私の好きなキリコと、実在のキリコにギャップがあったからだ。
キリコは1888年イタリア人の両親のもとギリシャで生まれた。その後90才まで生き、長い活動期間の中で作風を何度も変えていた。
キリコの代名詞、形而上絵画が生まれたのは1910年代。美術の教科書にも載っているこの時期の作品は、キリコにとっては前半の作品である。
13 バラ色の塔のあるイタリア広場
形而上絵画を閃いたのはフィレンツェのサンタ・クローチェ広場にいた時で、不思議な感覚に囚われたという。そのイメージを具現化したのが、イタリア広場のシリーズ。
意図的にずらされたパースペクティブが与える不思議な印象は、ピカソとアポリネールに賞賛され、その後のアーティストに多くの閃きを与えた。おそらく今日のアーティストにも影響を与え続けている。
しかし、キリコはここに止まることこなく新たな
作品を作り出していく。イタリア広場の手法を室内画に持ち込み発展させた形而上的室内。消失点がなくなり、コラージュのような印象を与える作風。ただ、イタリア広場にあった奇妙な感覚は生じない。
そして、キリコが生み出した代表的なモチーフがマヌカン(マネキンと同じ)。
25 予言者
カンバスの前で首をかしげるマヌカン。表情や人格や個性を剥ぎ取られた人体が、却って見るものの想像力を掻き立て、深い考察に誘う。
32 不安を与えるミューズたち
1950年頃の作品。キリコの面白いのは過去のヒット作(?)である形而上絵画を完全に卒業せずその後も節操なく描いているところ。注文主の希望もあるが、自分が最初に描いたということを見せつける意味もあったらしい。
28 形而上的なミューズたち
これは初期の作品。手前のマヌカンの顔面の黒い穴は、無限の暗闇、空間に見えてくる。巨大な喪失感が、このマネキンにはある。
29 ヘクトルとアンドロマケ
ギリシア神話の英雄ヘクトルとその妻アンドロマケの肖像画。ただし顔はマヌカンなので肖像画とも言いにくい。この画題が好みだったのか注文が多かったのか、この会場だけでも3点展示されていた。
キリコは新しい技法を貪欲に取り入れる画家で、こ1924制作のこの1点はテンペラ画を取り入れてある。キリコの絵は雑な描き方が多いが、テンペラ画はだからか描き込みの密度が高く感じる。
43 谷間の家具
キリコにとって非日常的な雰囲気を醸し出すことはテーマのひとつだったようだ。家具を部屋から外に出し、おかしな配置に並べたのが家具のシリーズ。なぜこんなところに家具が?という感覚を呼び起こす。
さて、ここまで前衛的な作品を描いていたのが、突然ボルゲーゼ美術館のティッツァーノに衝撃を受け、古典主義の研究を始める。一応イタリア人だから古典的な表現を乗り越えて進んできたと思いきや、まさかの反転。フットワークが軽いというか、自由です。
51 菊の花瓶
花の静物画。写実的で普通にうまい。花瓶が九谷焼きの配色。菊の花といい日本を意識した作品だろうか。
55 横たわって水浴する女(アルクメネの休息)
ルノアールにも学んだそうで、本気で学んだということがわかる裸婦像。肌の塗り方、背景の色の塗り方が印象派のそれ。
57 風景の中で水浴する女たちと赤い布
風景の描き方が古典主義、写実主義的。これも学びの成果が見て取れる。
キリコはその画業の前半で美術史に残る作品を生み出してからもずっと現役で、晩年30年間は、ローマで創作活動をした。1960年代の作品は、新形而上絵画と呼び、過去の作品の要素も自由に取り込み、明るく軽いマンガのような作風になっている。
64 オデュッセウスの帰還
以前、東京都美術館のターナーの回顧展を見た時、晩年の作品はモネの後期の睡蓮のような抽象的な風景画、いや実質抽象画になっていて驚いたことがある。
今回もそれに似て、有名で代表的な作品から違う場所にきたキリコに違和感を感じた。私が無知だっただけだか、正直言って初期の形而上絵画に魅力を感じる。
アーティストは己の目指すものを追求する。そして見るものは己が素晴らしいと思うものを賞賛する。
食い違うことがあってもドライでイーブン、あるべき姿ではある。
時にこういう感想も仕方ない。これはこれでよしとしたい。
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