ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?
——国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ
国立西洋美術館
2024年3月20日(水)
美術館の存在意義を問いかける過激なタイトル。
西洋美術館なのに日本の現代美術の展示。
国立西洋美術館も「自分探し」にハマるお年頃なのでしょうか。
設立時から世の中は変わりました。日本人が西洋、ヨーロッパに憧れを抱いていた時代は、日本で学ぶしかない画家たちに本物の西洋絵画を見せる意義は深いものでした。
しかし、海外へ行くハードルは下り、国内でも「西洋美術」の展覧会が年中開催されています。20世紀までの西洋美術は過去のものとなりつつあり、絵画や彫刻に止まらない新しい表現メディアが誰の手にも扱えるようになり、同じものを作ってもそこに新しい未来があるのか疑わしい。相対的に「西洋美術」は一ジャンルとなり、アートの中心として煌めきは褪せてきている。
だから日本人の現代アーティストに美術館のあり方を問うというのが、この展覧会の主旨です。私は西洋美術館のままで良いのにと思いますが、日本で随一の国立美術館としての矜持がそれを許さないのでしょう。
とにかく作品を見ていきましょう。それにしても、作品が違うと展示室の雰囲気もガラッと変わるもんですね。現代美術を展示すると空気が軽いです。客層も若い人が多い気がする。
中林忠良
Transportation -転位-Ⅲ
国立西洋美術館は銅版画のコレクションが充実しています。現代の印刷技術、オフセット印刷が発明される以前、銅版画はメディアとして、ヨーロッパの文化の中心にありました。日本人の私にはその重みはピンときません。
それでも、日本には個性的なアーティストがいます。中林忠良は銅版画を制作する過程の薬品による腐食を作品のテーマと重ねて制作をします。精緻な写実の銅版画からその先へ向かう作品です。
小田原のどか
オーギュスト・ロダン 考える人
小田原のどかは公共空間に展示される彫刻について考察をしています。
国立西洋美術館の彫刻といえば、正面の広場にある
「考える人」「弓をひくヘラクレス」「地獄の門」などが思い出されます。こういう名作を地震対策による変化という観点で取り上げています。
実は美術館の彫刻の台座には免震対策が施されています。作者の意図にはなかった金具が内部に取り付けられ、特殊な台座に載せられています。地震のないヨーロッパならこのような台座には載せないようです。作品の内容を歪めるような悪意のある改変ではありませんので、わざわざ彫刻を倒して裏側を見せて展示するのは国立西洋美術館に喧嘩を売っているのかという気にもなりますが、これは一例。
パネル展示では、海外のもっとディープな事例も取り上げています。近年世界中で繰り広げられたBLM運動(ブラック・ライブズ・マター運動)の影響により奴隷商人の銅像が撤去されるという事件がアメリカやイギリスで起きました。奴隷貿易で得た莫大な富がその土地の繁栄に大きく寄与した記念として建てられた銅像が、200年以上の時を経て引き倒されたりしたのです。
美術の中でも彫刻は丈夫で耐久性が高く、年月を経ても変わらないものなのに、社会が変わってしまう。国立西洋美術館が掲げる価値観も未来永劫のものではないという意味でしようか。
これは世界的なニュースで作者が独自に発見したものではないのですが、今回の企画にぶつけて展示するというのも、パンチが効いています。
布施林太郎 骰子美術館計画
メディアアートです。とてもキレイな作品で、人だかりが途絶えませんでした。国立西洋美術館の建築を考えるというテーマで作られています。
骰子 = サイコロ
読めましたか?
建築を立方体に分割して組み替えてるという考察しています。内容はあまり理解できなかったのですが、クリスタルな立方体のCGはとても綺麗でした。
裏面には言葉によるインスタレーションでした。
鷹野隆大 KIKUO(1990.09.17.Lbw.#16)「ヨコたわるラフ」シリーズ
ギュスターブ・クールベ 眠れる裸婦
典型的な裸婦像の形式を借りて、現代の裸婦を描いてみたという作品です。
隣に掛けているのはギュスターブ・クールベの裸婦像。クールベの生きていた時代の裸婦を挑戦的に描いたもの。神話や歴史の設定を使わない生々しい女性の裸です。
対して、現代の裸婦とは?そもそも女性である必要はあるのか。リアルな女性の体型とはどういうものなのか、と、さらに現代の問いかけを被せています。手前のベッドなどの家具はIKEAで購入したもので、こちらも現代化しています。西洋美術の歴史を踏まえた現代アートです。
飯山由貴 この島の歴史と物語と私・私たち自身 ――松方幸次郎コレクション
今回のテーマに真っ向から立ち向かった作品。面白かった。立ち上げた壁面に美術館所蔵の絵画がかけられています。壁の余白には一面に書き込みがあります。作品の内容や時代背景、収集された経緯、関わった人物などが記してあります。コレクション収集から今日の西洋美術館に至るまで、道筋は一本道ではありませんでした。色々あるけれども何とかなりますよと解釈したら身も蓋もありませんかね。
弓指寛治
反 - 幕間劇 ――
上野公園、この矛盾に充ちた場所:上野から山谷へ、山谷から上野へ
上野ならではの作品です。上野公園にはホームレスの人々が多くいて、炊き出しなども行われています。最近この方たちが少なくなっているという現象が起きており何処へ行ったのか、無事なのかを取材し絵画によるインスタレーションに仕立てた作品です。
取材に応じたホームレスの方々は波瀾万丈の人生を生きてきた方が多いので、読み物として面白いです。しかし、これではアーティストの眠る部屋ではなく、ホームレスの眠る部屋の話にすり替わってませんかね。
竹村京 修復されたC.M.の1916年の睡蓮
クロード・モネ 睡蓮、柳の反映
第二次世界大戦後、長らく行方不明だった松方コレクションのひとつ、モネ「睡蓮 柳の反映」がルーブル美術館で発見されたのも昔のニュースとなりました。
日本に返却され、国立西洋美術館で修復されました。残念ながら上半分は破損して残っていなかったためありません。しかしモノクロの記録写真が残っていたので、修復と並行してデジタル技術を用いてフルカラーの画像データとして全面再現されました。この作品は現実に修復できなかった上半分を刺繍で再現し実物に重ねて元の絵画を再現しています。
美術館の所蔵品を題材に新しい作品を作る。こういうコラボはアーティストを美術館に集めるのに有効です。西洋美術館の看板を守りながら、今に生きる美術館であり続ける良い方法と思います。
今後も西洋美術館であり続けるのか?
↓ランキング参加中!押していただけると嬉しいです!