生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ
東京国立近代美術館
2023年10月9日(火)
棟方志功の凄さをひとことで述べるなら、一目見ただけで、棟方志功の作品だとわかること。板画、倭画、デザイン、どれをとっても圧倒的な個性、世界観。
- 板画特有のベタな黒と鮮やかな色彩。
- 大胆に省略された人体デッサン。
- 文章でありながら装飾とも見える文字。
- 神話や仏教を扱いながら土着性を合わせて持つ。
- どんな大きな画面も埋め尽くし溢れ出る熱量。
棟方志功はどうやって棟方志功になったのか?
ゴッホの「ひまわり」に感銘を受けて画家を目指したというのは有名な話です。初めは油絵を描いていましたが、やがて版画に目覚めていきます。
006ー7 貴女・裳を引く
006-8 聖堂に並ぶ三貴女
初期の作品です。当時人気だった川上澄生の影響がら感じられます。影響というより真似ですね。技術を学ぶのが主目的だったように思えます。ここから、一気に躍動感ある絵作りに突き進んでいきます。
015-13 大和し美し「倭建命の柵」
「大和し美し(やまとしうるわし)」は20図ある大作です。日本の題材、文字を積極的に画面に配する点、単品ではなく複数の作品で構成している点、画面を埋め尽くす情報量、綺麗にまとめる気はサラサラない。倭建命だからこうなるのか、こういうものが描きたくて倭建命を選んだのか。棟方らしさが現れています。後に師匠となる柳宗悦と出会うきっかけになった作品です。出品した国画展の会場で展示について係員と揉めているところに、柳宗悦と濱田庄司が通りかかり間に入って交渉してくれたそうです。柳はその場でこの作品の購入を即決、随分文字の多い作品だなと思ったといいます。
026 勝鬘譜善知鳥版画曼荼羅(しょうまんふうとうはんがまんだら)
善知鳥(うとう)は鳥のことですが、これは能の演目を描いた作品です。第2回新文展で特選をとっています。ムラのないベタな黒、彫の跡を残さない完全な白、とメリハリの効きつつ抑制のある絵が能の静的な動に通じています。
ここまでで25〜30歳くらいの期間です。順調に棟方志功らしくなっていったように見えます。
031 幾利壽當頌耶蘇十二使徒屏風(きりすとしょうやそじゅうにしとびょうぶ)
タイトルの漢字を読むのはなかなか難しい。キリストの十二人の弟子、十二使徒のことです。棟方志功がキリスト教に詳しいとは思えないので、釈迦の十大弟子みたいなものと考えてあとは勢いで制作したような気がします。棟方の特徴である箱に押し込められたように捻じ曲がり窮屈なポーズをとる人体の描き方も確立しています。
さて、この作品が縦に長いのは理由があります。出品予定だった展覧会の規程に幅の制限はあったが高さの制限がなかったので、柳宗悦の助言でインパクトを高めるため天井まで届く仕様にしたそうです。棟方は柳の助言は素直に受け入れ板画の作り直しをすることもありました。
043 群鯉魚図
鯉は日本画の典型的なモチーフです。棟方志功の手にかかるとこうなります。素早い筆使いに迷いの無さが感じられます。板画を制作する時、勢いで猛然と彫る様子が映像に残っています。これも同じ流儀でしょう。
040-1 華厳松
049 鐘溪頌
041 女人観世音板画柵
058 谷崎歌々板画柵(左隻)
詩や文学をこうも容易く作品に取り込めるアーティストは棟方志功をおいて他にいません。板画の文字は、文章でもあり装飾でもある。岡本かの子や、谷崎潤一郎といった人気作家の作品によりかかることなく、独立した作品としての強さがあり、Win-Winのコラボになっています。こうした作品は棟方志功を世間的なビッグネームにするのに大きな影響がありました。
075 花矢の柵
青森県庁の正面玄関を飾るために制作した作品です。今年の5月に訪れた棟方志功記念館にも展示されていました。彩色されておらず真っ黒で何が描いてあるか分かりづらかったのですが、完成作はこうだったんですね。こちらの方が全然良いです。はるか東北の地から、南に向かい風を送るという気概で制作した板画だそうです。
棟方志功はどうやって棟方志功になったのか?
そんなことを考えながら今回は見てきました。板画に取り組んでからは、その作風を順調に確立、発展させ、題材や素材を変えても全てを棟方の色に染めていく。棟方志功は初めから棟方志功だった、というのが、結論です。強いて言うなら、ゴッホの絵に衝撃を受け画家を志した時が、棟方志功が誕生した瞬間だったのだかなと思いました。
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