甲斐荘楠音の全貌 絵画、演劇、映画を越境する個性 

東京ステーションギャラリー

2023年7月31日(日)


 

今回、期待して見に来た甲斐荘楠音。

 

結論から述べるなら、謎はますます深まりました。

 

前半生は画家として活躍して

後半生は映画や演劇の世界で活躍。

 

子供の頃から芝居が好きで、歌舞伎、少女歌劇も観劇していたそうです。

  

華やかな女性美への憧れが根幹にあるのは確かです。男性が美しい女性に変わる歌舞伎の魅力に取り憑かれて、素人歌舞伎に女形として出演。花魁など女性の衣装を着て自らを撮影した今でいうコスプレ写真を数多く撮影している。



性的マイノリティだったという話もあるが、どのタイプなのか定かではない。作品から何が見えてくるでしょうか。 



004  毛抜き

上半身裸で顎の毛を抜く男性の姿。肩幅の狭さ、胸板の薄さ、華奢な身体つきで少年のよう。肌は白く、唇は赤く、乳首は赤く、耳も赤い。背後を三輪の赤い花が飾る。性的マイノリティということから何もかも性的なものに紐づけるのは好きではないが、赤い耳が女性器を連想させる。男性の中に女性美を求めるの一種の癖の現れとも思える。考え過ぎか。

 


006  横櫛 広島県立美術館所蔵

立ち姿の女性像。細身であどけなさの残る表情はまだ少女だが、和服には一癖ありそうな歌舞伎の役柄の顔がいくつも描かれてあり、心の奥に潜む魔性を暗示しているかのよう。彼女の未来の姿なのか、隠している本性なのか。発表後に加筆されていて当初のものとは違っているそう。

   

 

005  横櫛 京都国立近代美術館所蔵


006と同じ構図で描いた女性像。こちらは少し年は上で身体つきもしっかりして貫禄もある。表情が妖しく甲斐荘楠音らしい。着物の柄の描きこみはあっさりめ。複製を描くのが目的ではないだろう。前の作品から成長した女性の姿ともとれる。

 


012   舞ふ

水色の着物を纏い手足を広げ身体をくねらせて舞う遊女。肉感的な身体の描写が際立つ。甲斐荘楠音の女性像はボリュームのある身体のものと、細身で衣装を丁寧に描くものがある。前者は着物の柄がシンプルだが陰影をつけ立体感のある描き方をしている。日本舞踊を描くなら指先まで行き届いた洗練された型の美しさを捉えそうなものだが、気分が高じるのに任せた様に陶酔を見る。



018  母

母の胸像である。首が太く身体もむっくりしていて写実的。対象と向き合って描いた肖像画。見たままの人物を描く鍛錬の一環と思える。

 

015 裸婦

彩色されているものの、裸婦デッサンというべき作品。線ではなく色彩と陰影でフォルムを描き出している。乳房の大きな乳輪がリアルな視線を感じさせ、写実性重視の作品と思われる。画面いっぱいに描いたのは、受けた印象を構図で表現したのだと思う。

 

017 裸婦

立ち姿の裸婦。日本人体型で太めで乳房が豊か。目は細め。美人ではないが見た目の印象に忠実に描いていると思われる。甲斐荘楠音は裸婦の絵を描くために学生の時分から個人的にモデルを見つけていたそうで、当時はお金に困った女性がこっそりとくることが多かったという。


024  女の顔

うつむき加減で唇を噛み締め何かを言いたいことをぐっと堪える。理不尽な仕打ちを受けたのか、誰かに裏切られたのか。甲斐荘楠音の女性像は幸薄いものが多い気がする。

 

 

027  歌妓

三味線を足元に立てて持つ立ち姿の芸妓。すらっとした体型で、涼しげな笑みを浮かべている。六曲一隻の屏風で背景は何も描いていない。芸妓は第二扇に描いてあるので、左からは見ると何も見えない。右からは見ると見える。趣向としての仕掛けだろうが、未完成ぽくもある。


028 春

寝そべりコップの飲み物を飲む女。赤、ピンク、小豆、青、と、派手な色彩の模様の着物を着て身体をくねらせ、マドラーを指先につまみ楽しげな表情。敷物の模様の草、花、鳥が女を飾るように配されている。甲斐荘楠音の作品の中では珍しいまっとうな美人画といえる。

 





後半は絵画作品ではなく、演劇・映画関連の資料、衣装の展示に変わります。画壇の派閥のようなものに馴染めなかった甲斐荘楠音は日本画の作品の発表をしなくなり、縁あって映画の衣装考証家の仕事をするようになります。


程なく、携わった「雨月物語」が、ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞。アカデミー賞でも衣装デザイン賞にノミネートされ世界的な評価を得て、昭和の大ヒット映画「旗本退屈男」シリーズなどにも衣装考証家として参加。後半生は安定して映画に関わる仕事をしていました。


実際に衣装を作り俳優が演じること、これは絵を描くことより魅力があったのでないでしょうか。求める女性美が屏風の中にしか存在しない、発表する機会がない。一方で隆盛をむかえた映画産業、次々と依頼がくる新作映画の企画。私には「旗本退屈男」の主人公、早乙女主水之介の派手な衣装は、女ものに見える。夢中で仕事をしている結果として絵画から遠のいただけで辞めてはいない。だから、晩年に絵画作品の制作、発表にも戻れたのでしょう。


 

041  畜生塚

八曲一隻の未完の大作。画面いっぱいに裸の女性たちが描かれています。ある者は立ちすくみ、ある者は膝まづき、怯え悲しんでいるような佇まい。畜生塚に着想を得た作品です。畜生塚とは豊臣秀吉によって自害させられた養子秀嗣、処刑されたその妻妾、幼児たちを埋めた塚です。彩色されておらず線描のみなのでまだ下書きの段階です。最終的に衣服をまとわせるつもりだったと思います。処刑を告げられた瞬間の歴史画か、救われぬ魂たちの鎮魂歌か。


042 虹のかけ橋(七妍)

完成までに50年以上かけた作品。優雅な着物を纏った7人の花魁の立ち姿。六曲一隻の屏風絵です。

1915年に制作を開始、一度は完成を見たようですが、晩年に顔をすべて好みの瓜実顔に描き直したといいます。妖しい表情ではありません。全員同じ顔で甲斐荘楠音に見えなくもない。自分が成りたかった姿を形にしたようにも感じられます。

 


幅広い領域で活動しながらも追求していたのは女性の美。それは癒しや安らぎを与えてくれる女性像ではない。時にその姿は不可解ですらある。自らが女性になれない以上、決して辿りつけない地を目指す旅を続けた人生だったのではないだろうか。


なぜこのような女性像を描いたのか。何を描いたのか。謎は謎のままの展覧会だった。




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