生誕100年 山下清展 ー百年目の大回想
SOMPO美術館
2023年6月25日(日)
山下清といえば、テレビドラマ「裸の大将放浪記」でも有名な人気の画家です。私はこのドラマを見たことがなく、そちらの先入観はないのですが、存命中から人気がありながら、アカデミックにはアーティスト扱いされていなかったようなイメージがあります。美術館に展示されているのをあまり観た覚えがない。回顧展は珍しいのではないでしょうか。
今なら「アールブリュット」と呼ばれるアーティストですが、展覧会の解説にその言葉はありませんでした。山下清は山下清であるということなのでしょう。
1922年、東京の浅草に生まれ、翌年関東大震災で被災。新潟に避難している時、大病を患い吃音になってしまいます。1926年に浅草に戻り小学校に入学するも、学校でのいじめが止まず、発達障害であることがわかってから八幡学園という養護学校に入ります。ここの授業で貼り絵に出会い、その天分を開花させていきます。
15 蜂2
17 かたつむり
19 さかな
こちらはサイン色紙に描いたペン画です。山下清は色紙にサインをする時、文字だけでは申し訳ないと思っていたようで、ペンでサラッと絵を描いていたそうです。簡単なイラストなのに周到にデザインされたような上手さがあります。
1940年に八幡学園を飛び出し放浪の旅に出ます。学園での生活に飽きたというシンプルな理由で、これが放浪癖の始まりです。ナップサックを背負い線路を歩いて駅で寝る。あてもなくぶらぶらするドラマの姿はリアルだったようです。そして行った先々で見て来た景色を学園に戻ってから作品にする。そんな創作活動を送るようになります。
73 遠足
山下清というと平面的な画風というイメージがあったのですが、実はそうではありませんでした。これは初期の作品ですが、屋外で緑を背景に並んで立つ子供(おそらく)たちの絵です。立体感があり、奥行きがあり写実性が高い。山下清を「日本のルソー」と呼ぶこともありますが、ルソーはこんなに空間を的確に捉えた絵を描くことは生涯ありませんでした。
89 桜島
90 桜島
92 桜島
ほぼ同じ構図、九州本土側から見た桜島を描いた作品です。染め絵、ペン画、貼り絵とあり、どれも遜色ない完成度です。山下清は貼り絵以外も使える画家でした。特にペン画は凄い。筆と違い繊細な表現のできないペンでも、作品の密度や熱量に差はありません。
86 長岡の花火
花火は何点も描いているそうで、これは代表作です。そもそも花火を描くのがとても難しい。夜の闇の空に大きく輝く花火のスケール感、訪れた多くの人たちの熱気、そういったものが、この絵からよく伝わってきます。
実物を観るとわかるのですが技法が多彩です。ただ細かく紙を貼り付けているのではなく、花火の光る線はこよりを使い力強く表現しています。川の水面に揺らめき反射する花火も写実的ではないことで感覚的にリアルな印象を与えます。背景の黒は大きめの紙片で凹凸なく描いています。そして、この絵の肝は群衆。手前から遠くに行くほど小さくなる人々の頭。細かくちぎった小さな紙片を無数に貼り付けて表現しています。この辺の執拗さがアールブリュットっぽいのですが、小さな部分を単に増殖させているのではなく全体の構成から細部に落とし込んで描いているあたりがそれと一線を分けるところです。
134 スイス風景
135 スイス風景
山下清は一般の日本人が海外旅行に行くのはまだ不自由だった時期にヨーロッパの各地を訪れています。ヨーロッパの景色の作品はどれも写実性がかなり高い。上手くなっていて写真を使ったのではないかと思えるくらいです。ハッキリ言ってその分、少しつまらないのですが、この2点は違います。山肌の表現が秀逸。黄色に紺色とかなり違う色彩を混ぜて貼り合わせてあり印象派の表現っぽく、ゴッホなどに例えられる理由でしょう。
137 ロンドンのタワーブリッジ
ロンドンのタワーブリッジならこれという感じの収まりのよい構図で写真に基づいているのではと疑惑を感じてしまった作品。山下清は放浪の旅に出ると現地では絵を描かず、学園に帰ってから記憶を頼りに制作していました。かなり細部まで記憶できたようです。有名な観光名所なら絵葉書、観光ガイドの写真もあったはずで、それらが記憶に入り混じったこうなったのでは?ある意味、普通に上手い風景画です。
149 ストックホルムの夜景
ペン画による点描を彩色した作品。黒のサインペンで描いて彩色しています。夜の空を表現するのにサインペンで点を打っていくという手法をとっています。塗り潰すことはしていない。点一つ一つをしっかり打っていて、この均一に保たれた細部の集中がペン画なのに作品全体として密度と熱量を持っている理由だと思います。
東海道五十三次
今回もっとも驚いたシリーズ。現代の東海道五十三次の風景を描いたモノクロのペン画です。普通に上手い(何遍この表現を使ったでしょう。)。全然ルソーでないし、ゴッホでもない。最終的に彩色する構想もあったそうですが、1971年、49歳で亡くなります。まだ若く惜しまれる才能でした。
今回いい意味で裏切られた展覧会でした。山下清は貼り絵によって大成したと思っていたのですが、そうではなく、貼り絵からきっかけを得て、表現の幅を広げていって画家でした。ここでは触れていませんが、油絵にも取り組み、陶器の作品もあります。長生きしていれば、巨匠になっていたでしょう。もう十分巨匠だという意見もあるかもしれませんが、まだ、評価が足りないと思います。
また、強く感じたのは、貼り絵は実物を見ないと駄目です。画像では良さが半分も伝わらない。貼り絵は山下清のすべてではありませんが、唯一無二の表現技法なので他で見ることはできません。
また、おそらく作品の保存が難しいので、まだ状態のいい今のうちにその目で見てください。これからも間違いなく評価の上がり続けるアーティストです。
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