大竹伸朗展
東京国立近代美術館
2022年11月19日(土)
大竹伸朗の作品は芸術祭や現代アートの展覧会でもよく見ます。
言葉は悪いが、途方もない訳のわからないガラクタを大量に制作し続けるアーティストというイメージ。
今回の個展では、テーマ別に展示するということで、少しは理解できるかと思っていましたが、期待通り(?)難しかったです。
作品の振れ幅が広く、手法もいろいろ。自ら絵筆をとりカンヴァスに描くのではなく、集めた素材を張り合わせて制作する。アイデアスケッチをそのまま作品にしたようで、丁寧な仕事には見えないので完成作かも判別不能。
どうですか。結構、うーん、て、なりますよね。
現代アート好きの私でも、そうなのですから、一般の方は、うーん、ってなっても当然です。
もちろん、それだけではなくて、面白みと示唆に富むアーティストです。
これは店舗型のアート作品です。そんなジャンルが存在するかは知りませんが。
店内を覗くとこんな感じ。人様に見せる作品なのですから、もっと整理された部屋にすればいいのに、そうしないのは性格でしょうね。
ギターや小型テレビ、裏側には巨大なスクラップブックが。
スクラップブックは、大竹伸朗のライフワークのようなシリーズで大量に展示されています。
大量に集めた国内外の雑誌、新聞、チラシなどでコラージュした作品を毎日のように制作し、たまったらスクラップブックの体裁にしているようです。
展示作品は触ることはできませんので、一部のスクラップの中身は映像で流しています。とにかく手を動かす、余白はキライ、空いたスペースは勢いで埋めてハイ終わり、と見えます。本人も何を作るか分かってない、日常動作、習慣で作っているものだと思います。
それに対しテーマを感じる作品もあります。
大竹伸朗はナイロビに在住していたことがあり、ナイロビをテーマにした作品はペインティングが多く、彼の地のイメージを具体的に描いています。
大竹伸朗にとって制作の素材となるものは具象抽象の分け隔ては無いようです。
こちらは最初に載せた作品に比べて綺麗な画面の抽象作品です。露光ミスのため捨てられたポラロイド写真が、大竹が当時漠然と頭の中に描いていたイメージをあまりに忠実に再現していたので、それを引き伸ばし塗料や樹脂を重ねて制作しています。
これは制作に30年間かけ制作した作品。具体的な方法は分かりませんが、この色味は経年劣化(描いてから30年間ほったらかしにした?)によって出した色味のようです。
大竹は元々ゼロから何かを作ることに興味が無かったそうです。作ることなしに作品を作るために、既に存在する素材を使います。素材についてこの展覧会では、次の7つに観点に分け展示しています。
- 自/他 Self/Other
- 記憶 Memory
- 時間 Time
- 移行 Transposition
- 夢/網膜 Dream/Retina
- 層 Layer/Stratum
- 音 Sound
- 自/他の他とは、集めている素材のこと。
- 記憶とは、大竹自身の記憶でもあり、素材そのもののもつ歴史でもあります。
- 時間とは、制作にかける時間のことでもあり、素材の経年劣化を手法として取り込むことであり、自ら記憶の変化、忘却のこと。
- 移行とは、素材の持つ本来の意味、機能から離れて、違う場所に置くことで、別な意味を持たせること。
- 夢/網膜とは、人間の夢、網膜の働きのことで、素材を組み合わせる時、大竹が強く関心を持つテーマです。
- 層は素材をいくつも重ねる手法の特長のことでイギリス(フランスだったかも)に在住していた時、街のポスター業者が、古いポスターの上にそのままポスターを貼り付ける姿を見て、見えずとも裏にイメージが存在することの重要性に気づいたそうです。
- 音とは素材のひとつ、アートとは視覚的な表現にあらずということて、大竹は初期の頃から音を素材とした作品を制作しています。
デタラメに見えるようで、そうではありません。綺麗な画材に慣れてしまった古典的アートファンの好みには合わないこと、振れ幅が広いので作品のテーマや問題提起を読みにくいということです。
個展ではなく、芸術祭で巨大な一点ものを見る方がとっつきやすいアーティストだと思います。
最後に今回私が最も気にいった作品をご紹介しましょう。
東京国立近代美術館に着いた瞬間、笑ってしまいました。宇和島駅の看板を「移行」した作品です。錆びついたままの状態は長い「時間」が刻まれ、宇和島駅という名前からこの電飾の見てきた「記憶」に想像が広がります。建物への納まり方が自然過ぎてらしくないくらいです。
本当に斜め上をいく創造力のある現代アーティストだと思います。
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