特別展 空也上人と六波羅蜜寺

東京国立博物館

2022年4月17日(日)



空也上人といえば、口から仏様をポポポポポポと吐き出している人、それ以外はよく覚えていない、という方も少なくないでしょう。


その空也上人が京都の六波羅蜜寺から上野の東京国立博物館にやって来ました。


まず「空也上人(903〜972)」は何をした人か確認しましょう。


空也上人は平安時代に庶民に阿弥陀信仰と念仏を広め、大般若経の書写、十一面観音菩薩立像の造像などの仏教の大事業を行いました。念仏というと浄土宗は法然、浄土真宗は親鸞と教わりますが、それ以前に活躍した僧です。




1  空也上人立像 康勝作


口から吐き出される6つの小さな仏像がどうしても気になってしまいます。これは「南無阿弥陀仏」の6文字を示しています。空也上人があまりにも尊いので、唱える念仏は仏様そのものとなって顕現するという、大袈裟というか、斬新というか、そのまんまというか、とにかく面白いインパクトのある表現です。

 しかしこの立ち姿の彫刻は、この点を除けば、極めて写実性の高い彫刻です。衣服の表現が秀逸。ゆったりした上着の柔らかい背中の曲面、袖のシワ、風になびく裾の揺れ。老いているからか、長い道のりを歩いて来たからか、首から下げる鐘鼓の重みのせいか、やや前屈みで少し心もとない足もと。

 何万回と念仏を唱え続ける眼差しは半開きで虚ですが何処でもない何処かに焦点を合わせているようです。

 空也上人は阿弥陀聖(あみだひじり)、市聖(いちのひじり)と呼ばれました。「聖(ひじり)」とは特定の大寺院に所属しないで諸国を巡って活躍した僧のことです。貴族ばかりに仏の教えを説き苦しむ庶民に目を向けないということをせず、庶民に念仏信仰を広め社会事業を行いました。

 そういう生き方をした僧だから坐像ではなく立って歩く像が作られたのでしょう。理想化した聖人ではなく、ひとりの肉体を持った人間として表現しています。


展覧会のタイトルのもう一つ、六波羅蜜寺とは?


元は空也上人が創建した西光寺という寺でした。前述した十一面観音立像(国宝)が本尊ですが、この展覧会に出展されていません。十二年に一度、辰の年に開扉するもので次回のお姿を見ることができるのは2024年です。西光寺は空也上人の死後、中信上人が「六波羅蜜寺」と改称しました。


「六波羅蜜(ろくはらみつ)」とは6つの「波羅蜜」です。詳しくは六波羅蜜寺の公式サイトをどうぞ。



平安時代、京都の東に埋葬の地があり鳥辺野(とりべの)と呼ばれていました。六波羅蜜寺は京都から鳥辺野へ向かう途中にあることから現世から死後の世界に向かう入り口として信仰を集めたこともあり、閻魔大王、地蔵菩薩像も祀られています。


9  地蔵菩薩立像

平安時代。スラっとした背筋が伸びた立ち姿。衣服のヒダも程々に自然で、とても美しい。背中の光背も細かい装飾的な透かし彫り(?)で豪華で神々しい。この方なら六道を巡り罪深き我々衆生を救ってくれそうに見えます。



この展覧会は本館 特別5室の一室だけの展示で、出展品は少数精鋭です。


展示室では空也上人像の向かい側に薬師如来坐像を中心に四天王の像が並んでいます。本来なら本尊である十一面観音立像が中心にいるべきですが代役です。並びは左から、広目天、増長天、薬師如来、持国天、多聞天です。存在感がありますが置いておいて、横に並ぶ坐像に目を向けてみましょう。


運慶作の坐像など鎌倉時代の写実性の高い彫刻が並んでいます。どれも素晴らしいのですが、どうしても目が行ってしまうのが、



17   伝平清盛坐像

この平清盛に目が行ってしまうのは、異質なオーラを発しているからです。頭は丸坊主ですから出家した後の姿。手にお経を持ち読んでいるものの、表情は油ぎっているというか、エネルギーに溢れており、僧ではなく権力者のカテゴリーいる人間に見えます。わざわざこういう清盛像を彫るところに作家性が感じられます。もう少し安らかで崇高な姿にしても良さそうなものですが。或いは、これでも十分大人しく彫っていて本物の清盛はこれより10倍くらいギトギトした性格だったのかもしれません。



六波羅蜜寺は平安時代、鎌倉時代の名品を多く所蔵していますが、京都観光では意外と観光コースから外れてしまいます。名所旧跡だらけの世界遺産都市なので、仕方がないところです。現地では見にくいこともあるので、こういうひとつのお寺の企画展もまめに観に行くべきだなと思いました。


 

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