Viva Video! 久保田成子展
東京都現代美術館
2021年12月26日(日)
久保田成子(くぼたしげこ)をあまり知りませんでしたので、不安と期待が半々で(昔のヴィデオアートを見るのはなかなかしんどい。)観に来ました。
結論は、とても良かったです。
誰もがスマホを持ち容易に映像コンテンツを制作・発信できる現代、久保田成子のようなアーティストの実績は美術の歴史教育に加えるべきではないかと思ったりしました。
久保田成子は水墨画家である祖父・久保田彌太郎の影響もあり、高校の頃に本格的に絵画を学び始め、東京教育大学彫塑科に入学、1960年に卒業後は中学校で教鞭をとりつつ創作活動をしています。この時期は日本においても前衛芸術の活動が盛んな時期で彼女もその方向の作品を制作していましたがなかなか評価されず、フルクサスに参加したくて、1964年大胆にもニューヨークへ渡ります。
「フルクサス」とは端的にいうとアートグループのことです。現代アートの大きな流れを作った集団で歴史には必ず出てきます。1962年にジョージ・マチューナスが創設。コンサートを手始めに様々な活動を展開しました。参加者は70名に及び、ナム・ジュン・パイク、ヨーゼフ・ボイス、ジョン・ケージ、オノ・ヨーコ、などもメンバーです。
久保田成子がジョージ・マチューナスへ送った自筆の手紙も展示されていました。彼女のフルクサスにおける位置は低くありませんでしたが、グループ活動のためか、個人の作品はあまりありません(「ヴァギナ・ペインティング」くらい。)。1967年ソニック・アーツ・ユニオンに参加とグループでの活動が続きます。しかしそこで築いた人脈は彼女の創作の礎となっていきます。
久保田は1968年3月5日ジョン・ケージとマルセル・デュシャンによるチェス・コンサート「リユニオン」の写真を公式に撮影する機会を得ます。その数日後、3月9日マルセル・デュシャン夫妻と飛行機で偶然出会い交流したことが彼女にとってとても印象的なことだったようで、デュシャンの死後、そのトリビュート作品を「ヴィデオ彫刻」という形にして作り始めます。
久保田がヴィデオを手にしたのは1972年。ポータブル・ヴィデオカメラ「ビデオ・デンスケ SONY DVC-2400」を入手し重いカメラを担いで方々へ赴き撮影を行いヴィデオアートを制作します。この時期の作品も展示されていましたが、これは飛ばして「ヴィデオ彫刻」の話を続けます。
ヴィデオアートを作りながらもブラウン管で映像を流しそれを見るという形式に不満を感じていた久保田は違う表現を考え出します。単なるアウトプットのデバイスではなく彫刻のような造形性を合わせ持つ「ヴィデオ彫刻」です。今はインスタレーションに分類されるでしょう。彼女のパートナーであるナム・ジュン・パイクの作品が21世紀の現代ではブラウン管に引っ張られているように見えるのに対し、それを舞台裏に隠したことで今でも新しく見えます。

「デュシャンピアナ」は、デュシャンの作品のコンセプトをヴィデオを用いて再解釈し創作するというシリーズです。
縦に並ぶブラウン管の上下には鏡が配置されていて無限にブラウン管が並んで見えるようになっています。
左右の壁にはデュシャンの墓碑銘「死ぬのはいつも他人」とそれに対する返歌と言うべき久保田の言葉が書かれています。
D'ailleurs, c'est toujours les autres qui meurent.
(By the way, it is always others who die.)
Marcel Duchamp
Video without Video
Communication with death.
Shigeko Kubota
当時は「ヴィデオ彫刻」という新しい挑戦でしたが、この作品は「メディアアート」「インスタレーション」として完成されていて凄いと思います。
<デュシャンピアナ:ドア>
Door.
Door to open your mind.
Door to close your mind.
あなたの心を開くドアは、
あなたの心を閉じるドアである。
一見、逆説的なことを見事にヴィジュアル化した作品。中に入るといずれの方向からもブラウン管の映す映像に出くわすようになっており、そこをくぐり抜けると反対がのドアから出ることができる。
<3つの山>
3つの地域で撮影した映像を3つの山の彫刻に埋め込んだ作品。ポータブルカメラを持ち歩いて撮影をしていた彼女はその土地の風土、自然、歴史、文化も含めて形にすることを考えていました。映像そしてモニターは要素、あくまで全体がひとつの作品となっていきます。
<河>
笹舟の形をしたオブジェに水をはり、3つのブラウン管に映像を映しています。
水面にはいつも波が立つように、仕掛けがしてあり、人工的な要素で自然の有り様を形にした作品です。
<スケート選手(手前) / ナイアガラの滝(奥)>
「スケート選手」はこの人体の造形に埋め込まれたモニターに映像が流れると音楽と共に動くようになっています。それにしても垂木を組んだ程度の雑過ぎる人体は彫塑科出身とは思えないです。これでよしとするのは前衛の時代に生きたアーティストならではですね。
奥にある「ナイアガラの滝」にしても手前に上から水が落ちていく仕掛けになっていて、いよいよ映像も含む総合芸術に進化し始めています。
久保田成子は先進的で歴史に残る傑作を作っていると思うのですが、作品数が意外と少ないという印象です。
初期のフルクサスでの活動、晩年脳梗塞で倒れた夫ナム・ジュン・パイクのサポートなど、面倒見がいいタイプなので、その分、自身の創作活動時間が少なかったからか、当時のヴィデオアートは制作は今日とは比較にならなくらい時間がかかるからか。
いずれにしても、もっとたくさんの作品を観てみたかったアーティストです。
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