最澄と天台宗のすべて
東京国立博物館 平成館
2021年11月3日(水)
タイトルの通り、天台宗と最澄のことがよくわかる展覧会でした。
織田信長による比叡山焼き討ちにより、最澄由来の品々は消失していますから、あまり期待していなかったのですが、とても良かったです。
アートな期待をしていなかったからか、比叡山に行ったことがあるからか(もちろん観光で。)かもしれません。といっても国宝、重文の比率が高いのはさすが天台宗といったところでしょうか。
前半は最澄と天台宗の紹介コーナーとしてよくまとまっていました。
1 聖徳太子及び天台高僧像
国宝。10幅。平安時代 11世紀。最澄が入滅してから200年後に描かれた天台宗に関わる10人(聖徳太子、龍樹、善無畏、慧文、慧思、智顗、灌頂、湛然、最澄、円仁)の絵です。坐像、立像とあります。
天台宗は中国の僧侶智顗(ちぎ)が天台山にて修行をして開いたので天台宗と呼ばれています。
最澄は遣唐使として一年間、唐で学び天台宗の正当な継承者として日本に帰国したそうです。
帰国後は平安京の北の比叡山から天台宗を広めます。
822年6月14日に入滅。今年2021年は1200年大遠忌にあたるので、この展覧会も記念の特別展です。
最澄の入滅後も天台宗は高僧を輩出。新しい宗派を開く者もいれば、天台宗を発展させた者もいます。最澄に続いた高僧達の展示が続きます。
円仁(慈覚大師)、それから円珍(智証大師)はそれぞれ唐にわたり密教を修めて帰国し天台密教を確立。相応が今に伝わる回峰行を始める。源信が「往生要集」を書き現世にて功徳を積む大切さを説きました。この影響で貴族の間で写経が大流行。贅を尽くした写経が作られています。
163 法華経(浅草寺経) 巻第二
黄金色の空に広がる雲海のような模様に金の切箔を散りばめた豪奢な料紙。金泥で写経された巻物です。浅草寺は円仁(慈覚大師)が開いたので天台宗ゆかりの事物を多く持っています。
織田信長の焼き討ちにあった比叡山の復興に力を尽くしたのが天海(慈覚大師)。徳川家康、秀忠、家光の三代に仕え、江戸に天台宗の拠点となる寛永寺を開山した。上野の国立博物館は元寛永寺の敷地ですから、この博物館も天台宗ゆかりのものとも言えます。
213 慈眼大師(天海)坐像
人格を捉えた肖像彫刻です。意志が強く一筋縄ではいかない油断ならない顔つき。頭巾を被っているのが特徴的で時代劇によく見る天海のイメージそのものです。
219 東叡山之図
橋本貞秀筆。寛永寺の様子を高いところから見下ろした鳥瞰図。蟻のように小さく描かれた人々が
なかなか写実的です。
唯一の撮影OKのエリアは「不滅の法灯」です。
最澄が存命の時に灯し、以後1200年絶やすことなく守られてきた根本中堂の内陣の不滅の法灯を再現しています。但しこの灯り本物ではなくLEDです。
そして最後のコーナーは日本各地の天台宗に関わる彫刻の展示です。天台宗の広がりを感じさせる秘仏を集めています。ほとんど重文ですが派手なものではなく地元たたき上げ(?)の仏像で、とても有難い感じがしました。
92 薬師如来及び両脇侍立像
寛永寺 根本中堂にある薬師如来、日光菩薩、月光菩薩、の三尊像。胴が長く直線的にスリムなスタイルが珍しい。薬師如来は最澄が手を入れた彫刻と同じ形をしていると言われています。
トリとして展示されているのが時代は前後しますが良源の彫刻です。
102 慈恵大師(良源)坐像
東京 深大寺。良源の彫刻は各地にありますがこれは高さ2メートル、僧形の古像としては日本最大。迫力が違います。
良源は火災で荒廃していた延暦寺を再整備し、広学竪義を始めて多くの弟子を育てました。比叡山中興の祖といわれています。真偽を問わず様々な逸話があり、元三大師、角大師、豆大師など色々な呼び名があります。
全体としては展覧会に行ったというより、寺社仏閣に訪れたという印象でした。
グッズ売り場の御朱印の購入者に、会場に来ている天台宗の僧侶が日付を入れて下さるサービスもありました。
残念ながら閉館時間を過ぎてしまい御朱印は買えませんでしたが、やはり現地に参拝して頂こうと思います。
