小村雪岱スタイル -江戸の粋から東京モダンへ

三井記念美術館

2021年4月17日(土)

 

 

戦前の商業美術で活躍した小村雪岱を

江戸の商業の中心の日本橋で

三井記念美術館が取り上げるということに

必然性を感じる。

   

アーティストというより、イラストレーター、デザイナー、アートディレクターと呼ぶ方が近いのかもしれない。肉筆画(オリジナル)より版画(複製)の方が良いと思うし、出世作が挿絵なのだから、評価されたのはメディアに展開した作品だ。

 

小村雪岱スタイルとはうまくつけたタイトルで、

今後その独自の世界観を共有するフォロワーが現れ、琳派のようになるかもしれない。

 

いくつかの作品を取り上げながら、その世界観を探っていきたい。

 

1-35   春雨

地面に青い小鳥(たぶん雀)が点々と並ぶ中に

緑の小鳥(たぶん鶯)が一羽。

細い線で描かれた雨が画面を覆う。

雨がタイトルだが、雨を描いているように感じられない。余白だらけのこの作品には人の気配がする。

 

1-28   夜雨

屋形船から御簾を開けて顔を覗かせる女性。

船や御簾が全面を多い、画面全体は団扇のような円い形。女性は降り始めた雨を伺っているのか。

屋形船の中に間違いなく誰かいるが、中の様子はは見えないので想像するしかない。

 

1-57   泉鏡花『愛染集』 装幀:小村雪岱

本の外装は夜の吉原の街並みの景色。漏れる灯が人々の営みを教えているが遠すぎて中の様子はわからない。表紙を開けると立ち並ぶ遊廓と一面の雪。たった独り、女が立ちすくんでいる。遊廓の扉は何処も閉じられて他に人の気配はない。この女は誰?ここで何をしている?

 

1-19   おせん  雨

傘傘傘。傘の間から人の顔が覗く。何処に主役がいるか一瞬わからないが右下に黒い頭巾を被った女性が。巧妙に仕掛けがされた構図。

細い線だけで描かれた挿絵だが、実はこれは木版画。小村雪岱の絵の細い線を見事に再現している。雪岱の作品の多くは死後に木版画で再現されている。

 

1-37    青柳

展覧会のポスターになっている絵。画面全体を上側、下側から細い緑の線で描かれた青柳が覆っている。間から覗き見える中央の和室の緑の畳には鼓が二つ、三味線がひとつ。人はいない。他に何もない。しかし確かに人がいる。そう遠くはない所で何かをしている。何をしているかは想像するしかない。

 

雪岱の絵はテストの穴埋め問題のような構成をしている。肝心な部分は空欄にしてあり観るものが埋めなければならない。挿絵の場合は小説が空欄を埋める解答である。本来挿絵は補助的なものでメインは小説であるからこの構成は当然のことだ。読書は小説から視覚的イメージを創造するものだ。

 

だから、この展覧会のように小説から切り離して絵だけを提示されると妙な感覚を覚える。雪岱の絵の面白い所は、空欄のある絵だけでも成立しているところだ。ここにいた人々、見えないけれどもそこにいる人々の気配があり、微かな臨場感を醸し出している。

 

1-38    落葉

三方開け放たれた和室の外寄りに置かれた机。

庭には一面の落ち葉。高い位置から望遠レンズで見ている構図。他に描かれたものはない。

しかし建物の奥に誰かがいる気配がある。

 

1-39    雪の朝

薄暗い木造の建物の外側を描いた絵。画面の左斜め半分が雪に覆われている。建物にパースがかかっておらず、超望遠とも見える、不思議な世界。窓の明るさが人の温もりを感じさせる。雪は降り続いている。

 

 

1-1  盃を持つ女

小村雪岱の人は鈴木春信を彷彿とさせる。画面左から顔を出して盃を持つ女。でも表情は春信より強い。背景は黒。画面の外、右側に誰かいる。

今回展示された肉筆画ではこれが一番と思う。

 

2-66    彦十蒔絵 鉄瓶 鉄錆塗

この展覧会では「小村雪岱スタイル」に当てはまるアーティストの作品も展示している。最後は小村雪岱ではなく、彦十蒔絵。彦十蒔絵は漆芸作家である若宮隆志が率いるアート集団。

4個の鉄錆が並んでいるが実は、本物の鉄瓶は左の1個、その横に3個の錆びた鉄瓶の作品が並ぶ。だんだんと錆び朽ち果てていく状態を完全に再現。3個目は百年先の姿、ボロボロに錆び欠けた鉄瓶の中にウスバカゲロウが翅を広げている。実物と見分けのつかない漆による超絶技巧作品。

小村雪岱スタイルに当てはまらない気がするがあまりに技術が高いので記録しておく。

 

最後は散漫になってしまったが今回はここまで。