今回は千葉市美術館

宮島達夫  クロニクル 1995-2020  のつづきです。
 
展覧会の中でデジタルカウンターを用いた作品と
この作品(?)は全く異質なモノだと思ったので
別に取り上げてみようと思いました。
 
「被爆柿の木2世」を育てるアート、
「時の蘇生・柿の木プロジェクト」とは何か?
 
時は1945年8月9日に遡ります。
この日、投下された原子爆弾は
長崎の街に甚大な被害を与えました。
人間だけではなく、植物にも。
 
焼け野原と化した街に
半分黒焦げになりながら生き延びた
一本の柿の木がありました。
 
弱り果てた柿の木を
長崎に住む樹木医の海老沼正幸氏が治療し、
柿の木は苗木を生み出すまでに回復しました。
海老沼氏はこの苗木を「被爆柿の木2世」として長崎に訪れる子供たちに配り育ててもらう活動を始めます。
 
それを知った宮島達夫はアーティストとして
応援することを決断、自身の展覧会で
苗木の里親を募集します。その過程の中で
アートプロジェクト「時の蘇生・柿の木プロジェク」が形になっていきました。
 
「子供を中心に平和と生命の大切さを体感する」
 
これが基本の理念。
 
柿の木が植樹される場所は、学校、美術館、公園など。宮島達夫自身が訪れて現地でワークショップを開くこともあれば、里親となる人々が自らイベントを開催するなど、形式は自由です。
 
現在までに1996年3月のプロジェクト第1号のから
世界26ヵ国、312ヵ所以上で植樹されてきました。
 
宮島達夫はこの活動に参加する人は
すべてアーティストであると定義しました。
よって活動はすべてアートとなります。
 
平和運動はアートか? 否。
平和運動家はアーティストか? 否。
しかし、
柿の木プロジェクトはアート、そして
柿の木プロジェクトに参加する人はアーティスト。
 
これはアートである、と言った時から
アートになる、とても現代アートらしい
やり口が面白いと思います。
 
ベースにある理念は同じでも
平和運動をアートプロジェクトにしたことで 
イデオロギーにまつわる思惑から距離がとれ
メッセージがより純粋なものに変わる、
そんな気がしました。
 
このプロジェクトは宮島達夫が
「被爆柿の木2世」という美の対象を
見出した所が肝だと思います。
日本人が富士山は美の対象とするように
世界中の人がアーティストとなり
「被爆柿の木2世」を新しい美の対象として
インスピレーションを得て
創作活動を続け、今も広がっている。
 
このプロジェクトは間違いなく
これからも原爆の悲劇、平和へのメッセージを
遠い未来まで受け継いでいくでしょう。
それは、いつか神話になるのかもしれません。
 
 
・時の蘇生・柿の木プロジェクト