とにかく見た目に美しい。鮮やかな色彩の模様は誰が見ても美しいと感じるだろう。
玉虫の翅をマクロ撮影して引き延ばしてプリントした作品。
さて作者は何を撮影し作品にしたのだろうか。玉虫の羽は構造色。玉虫色と言われるが、いわゆる色ではない。そこには存在しないが見える色をカメラで撮影し、プリント紙に存在する色で定着させる。それからこの作品を見た人は、玉虫色でなくなったそこに玉虫色を見る。何度かの変換を経てイメージは、見る者の脳の中で玉虫色として到達している。現実世界に浮遊するイメージ、機械的プロセスで変換されたイメージ、そして、見る者が情報として最終的に得るイメージ。
昆虫学者が撮影した玉虫の写真を飾っているのであれば、こんな面倒なことは考えないが、落合陽一だと色んな(?)考察を始めてしまう。
「焦点の散らばった窓」
「レビトロープ」
メディアアート2作品を畳の上でまったり見よう、という展示。六本木のMedia Ambition Tokyo で宙に浮いた球がゆっくり動いている「レビトロープ」を見た時はいったいどんな仕掛けだろうと思ったけれど、この雰囲気だと妙に景色に馴染んで、あまり気にならない。テクノロジーを意識させないとメディアアートも魔法化する、ということか。「焦点の散らばった窓」は先の「アリスの時間」と兄弟のような作品。映像投影装置の一種とも捉えられる。表の景色を素材として、円の中の窓にあるレンズによって変換したイメージを映している。全面鏡面仕上げで周囲の景色を空間に球体の映像として浮遊させ動かしていく「レビトロープ」も一種の映像投影装置。だから立体オブジェというよりは、映像インスタレーションと呼ぶべきもの。
理屈は抜きにすると、ぼーっと見ていて飽きの来ない作品。ゆっくり変化していくのが心地よい。
博覧強記の天才、落合陽一の作品に好き勝手書くのは畏れ多い気もしたが、ダ・ヴィンチの「モナリザ」について好き勝手に書いてるのだから、今更畏れるものなど無いと気づいた。
取り上げたい作品はまだあるが、さらっと書くのではなく掘り下げでゆきたいので、今後はひとつずつ書いていきたい。
本展、会期延長で9月27日まで開催となりました。まとまって作品を観れる良い機会ですので興味のある方は行った方が良いです。