落合陽一  

未知への追憶 
イメージと物質 II 計算機と自然 II 質量への憧憬
渋谷モディ2F
2020年8月7日(金)
Yoichi Ochiai, Reminscence of the Unknown,
Image and Matter
Digitally Natural, Naturally Degital, Sehnsucht Bach Masse
MODI
 
 
イメージを作り出す道具とイメージは表裏の関係にある。例えば演劇における客席から見た舞台と舞台裏。演劇であれば、表は客席から見た舞台であり、裏は舞台裏で裏は観客にみせるものではない。
 
メディアアートは、いわば舞台の表裏、その両方を作品とするものだ。舞台装置が独自に新開発された制作物で、表裏が曖昧でひとまとまりになっていることも多い。
 
アートが絵画、彫刻の枠に納まっていた頃は、表と裏の役割分担、関係性は強固だった。現代美術が立ち上がっての舞台装置を壊す作品、行為が次々に始まり、その破壊活動は凄まじく、今でもアートの世界はある意味焼け野原だ。
 
落合陽一はその焼け野原に新しい種を撒く、新しい建物をつくる、新しい舞台装置をつくることに精力的だ。作品ごとにメディアが違うので、まずこれがどういう仕組みかを理解しなくてはならない。このプロセスを省くと単なる立体オブジェを見ることになり、面白みを堪能できない。
 
 
「アリスの時間」
昔、大学の講義や講演のプレゼンで活躍していたOHP(オーバーヘッドプロジェクター)と同じ原理の投影装置を12個、大時計のように円形に配列して、1カットずつ投影してアニメーション映像を映す大型投影装置。
 
投影される映像はアナログ時計のアニメーション、時計の針が永遠に回り続ける。各カットの素材は実物の時計。実物の静止した12個の時計で動く1つの時計のアニメーションを作っている。
 
そして装置全体が時を刻む(時を示すではなく)回転系の光る大型オブジェでもあり、開放系の投影装置の漏れる光と映像が部屋全体を照らして、見る者も巻き込んだインスタレーション作品になっている。
 
見た目にアナログっぽい外観はノスタルジックな雰囲気があり、昔の未来、どこかの異世界の機械のようでお伽話っぽく、その上、前述した舞台の表裏の関係が作品の意味を曖昧にしているところが、アリスっぽい。
時計のアニメーションは結構早く回るので、心癒されるというより、せわしなくて心揺さぶられる。約束の時間に遅刻しそうで焦るウサギのように。
 

(つづく)
 
 
 
 
 

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