弱者を守るとは | takeのブログ

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思考の記録

現代社会において、弱者は守られなければならない。

人々は秩序を維持するために社会を変容させ続けてきて、現在のような体系となった。

「弱者を守るべき」というのは今や共通の認識であろう。




理想の社会を唱えたマルクス主義の欠陥が露呈するとともに、自由主義が成功を収め、自由主義こそ最高の社会だという風潮となった。


しかし、徹底的に自由主義が押し進められると、その結果、社会に格差が広がり、弱者は社会に不満を抱き、革命の危機にさらされることとなる。


これに異議を唱えたのが、「正義の話をしよう」で流行りのサンデル教授。


サンデル教授が語るのは、コミュニタリアニズム(共同体主義)と呼ばれるものである。


コミュニタリアニズムは、自由よりも大切なもの=「正義」を、話し合いで設定し、共通の了解のもと、皆で弱者を守り、よい社会を作ろうねという趣旨のものである。




ここで、用語の備忘。

リベラリズム=自由主義。所得の再分配は認める。

リバタリアニズム=自由至上主義。最小国家を唱える。

コミュニタリアニズム=共同体主義。共同体としての社会づくりを唱える。



コミュニタリアニズムの唱える社会は、道徳的で美しく、理想であるように見えるかもしれない。

しかし、「弱者を守らなければならない」という義務感に、問題がある。

そこには、人類が長い歴史の中で勝ち取ってきた「自由」がない。


本当にあるべき社会は、「自由な」選択のもとで「弱者を守る」ような社会である。

そのためには、弱者を守ることに動機がなければならない。

恵んでやっているというような優越感でもいいだろう。

何らかの名誉が与えられてもいいと思う。

「偽善者」などと言われることなく、もっと絶大な称賛が得られるような、そんな環境にしていかなくてはならない。