箱の中に猫が入っている。
箱を開けて中を見てみる、つまり「観測」するまでは、中の猫が生きているのか死んでいるのかわからない。
この時、箱を開ける前の時点では、中の猫は生きている状態と死んでいる状態の両方が縮重している状態である。
箱を開けて観測して初めて、猫が生きているのか死んでいるのかが確定するのである。
↑これがシュレディンガーの猫の話。
箱の中の猫だと、どう考えてもそんな馬鹿な話があるか!と思うけども、量子の世界ではこれがふつうに起こっている。
というか、量子論の世界では、粒子の状態(位置と運動量)は観測されて初めて決定される。
何かを観測するには、光やら何やらをその対象物に当てて、その反射を見る必要がある。
しかし何かを観測しようとして光を当てたら、その光の影響によって対象物の性質や振舞いが変わってしまう。
つまり、観測することで対象物の「本来の姿」が失われるため、結果として「本来の姿」は観測することが出来ず、逆に観測した時点でその対象物は「観測という影響を受けた結果の姿」として決定されるのである。
分かりやすく言うと、暗闇で夜行性の動物を見るために懐中電灯で照らしたら、その明かりに夜行性動物が反応してビビッちゃう、ということである。
暗闇における本来の姿は懐中電灯では見ることができないのである。
本当は暗闇でとんでもなくおぞましい姿をしてるのかもしれないけど、それは観測できないので、わからない。
人が観測できる世界とは、かくも制限されたものなのである。