(メインブログの記事のコピペです)

 

 

これは昨夜。

 

食事の時は必ずこのように私の膝の上に乗っています。

おかげで食べにくくて仕方ないのですが・・・

 

 

本日

 

ややお高めのパンなので期待しましたが

パン生地の質は良いものの、コーヒーのお供としては、もっと甘いほうがいいな、と。

 

 

で、本日は、昨日ブックオフで再購入したドゥービーbro.の曲を聴きながら――

 

 

やはりその時に買った新書版の本を読む

 

 

著者の鈴木大介氏は言わずと知れたリベラル系のルポライターなので

令和元年にガンで亡くなった父親が晩年、ネトウヨ老人になってしまったことをむろん苦々しく思っていたが、(母親の気持ちを慮って「諍い」を避け)とうとう最後まで父親に本音をぶつけることをしなかった(そのことが今日までずっと鈴木氏の心にひっかかってきたらしい)。

そのくだりを読んでいて私は、あの自称詩人の友人N君のことを考えていた。彼は逆に、やはりガンで死の床にあった父親に対し、(長年積もりに積もっていた、「恨み」に近い)価値観の対立をぶつけた。その話を聞いた時、私は「非情な・・」という、むしろネガティブな感想を持ったものだが、鈴木氏のこの体験談を読むと、N君の行いを一概に間違いだとばかり言いきれない気もしてきた。

N君はその後、その体験を材料に小説を書き、草稿を私に見せてくれた(正直、出来は酷かった)が、その中では、N君の両親がモデルになっている老夫婦(夫のほうは死の床にある)の妻のほうの前に、数十年の消息不明の後に突然現れる「昔の恋人」がN君自身をモデルにしていた。たしかとってあったはずなので、ここに一部を載せようと思い、探してみたが、今のところ出てこない。