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このライターさんは、23日放送の回の柄本佑の「表情」の演技がよかったと書いておられるが、私は真逆の感想を持った。

そもそも紫式部が想う相手=「光る君」設定の道長を、ブサ面の柄本佑がやること自体、普通ではないのだが、そこは敢えて「普通でない」ことをやってのけようという制作側の意図なのであろうから、お手並み拝見なわけだが、すでに完璧に失敗(視聴率や人気などではなく、作品の出来、完成度という点で)しているように思える。つまり「まひろ」の恋情を、視聴者に納得させることができていないのではなかろうか。佑の演技に、その力が無いのだ。とりわけ「表情」の演技力が欠如している。これまで観てきて、ずっとそう感じていたが、この回の放送では特に――それも、このライターさんが褒めているまさにそのシーン――宣孝が道長に対し、まひろを娶ることを挑発的に知らせるシーン――において、その「大根ぶり」をこれでもかとばかりに見せつけられたように思った(念のために「NHKプラス」で同シーンを再視聴してみたが、やはり同じ印象)。

ショッキングな知らせを聞き、それでも平静を装う道長の微妙な表情の演技においてこそ、役者がその実力を発揮しなくてはいけないのだろうが、彼の表情は「ただの『平静』」にしか見えなかった。その演技力の不足を補うべく、演出家があえて「手にしていた書状らしきものを握る道長の手に力が入る」映像を付け足したのではなかろうかと勘繰ってしまったほどだ。実際、あの「手」の映像が無かったら、あまりの「引っ掛かり所」の無さに、観ている側はキョトンとなってしまったかもしれない。

 

そんな次第で、私自身としては、彼の役者としての成功は、父・明の存在と、キャラクターとしてのブサ顔の存在感と、「大根ぶり」がむしろ雰囲気に合う役をあてがわれてきたこと――などによるのではないかと結論づけている。しかしネットで検索してみると、「大根だ」という意見と並んで、それと同数くらいには「味のある演技」とする意見もあるようなので、もしかすると私に「見る目」が無いだけなのかもしれないが。