「無人島に持っていくとしたら?」という、馬鹿馬鹿しくも悩ましい問いが交わされる。本を1冊持っていくとしたら?CDを1枚持っていくとしたら?…。そんなものよりサバイバルナイフを一本持っていくとか、無線機を持っていって助けてもらうとか、場外乱闘みたいなことを言う人もいたりする。

私は下手に1冊を選ぶと、「やっぱりあれにすればよかった」などと、ケチくさい後悔をしそうなので、何も持たずに行って、今までに読んだ本や聞いた音楽をウシのように反芻すればいいや、と思っている。
ちなみに池澤氏は、無人島に漂着する主人公に、カメラを持たせた。


南の島に対する漠然としたあこがれってなんなのだろう。
絶え間なく打ち寄せる波に眠気を誘われながら、何も考えなくていいという贅沢…いや、単に寒さと飢えで死ぬ心配がないという、本能的な安心感なのか。そうだとすると、胎内回帰なのかもしれない。


そういえば池澤氏の作品は、ぬるい。温かいとか寒いとか、熱いとか冷たいとか、そういう尺度で見ると、心地よいぬるさがあるような気がする。台風が近づいている時の風の中とか、繰り返し見る夢の中とか、草食恐竜の頭に乗るとか…。この感じも胎内回帰なのかもしれない。

池澤氏は理系の人だ。
しかし、作品には、人知を超えた大いなるもののが存在している。
人の手の及ばない何か。
それを当たり前に受け入れる文化や人々こそが、豊かなのではないか。


(これもたぶん2000年に書いた)

残念だけど、ほとんど知られていないんじゃないだろうか。
私も9年前、図書館で偶然手にしていなければ、未だに知らないままだったろう。
いや、何度すれ違っても、きっとどこかで出会っていたはずだ。

出会いとは、そういうものだと思う。


興味の対象の一致がとても多かった。
特にアメリカ・インディアンについては、彼らの素晴らしさも、何かが失われつつある現状も、彼らの輪の中から発信してきて、私の、インディアンに対する尊敬を深めてくれた。


マヤ・インカなどの古代文明には子供の頃から興味があったが、私を地球の裏側へ旅立たせたのは、氏の著書だった。足跡を追いたかったのかもしれない。

何度も危険な目に遭いながら、数十カ国を渡り歩いた彼は、「ヒトがいとおしい」と言う。著書のタイトルに「地球を抱きしめたい」とつけたこともある。だけど、双手を上げて駆け寄るほど、無邪気ではない。痛みも矛盾も知り尽くした上で、「それでも、なおかつ、ヒトが、地球が好きだ」と言うだろう。
そこには、決意がある。


ある著書のあとがきに、こう書いてある。

「…けれど冷戦が終わったいまも、世界各地で民族紛争がつづいている。…人種、民族、宗教、文化、そうしたアイデンティティのやっかいさをどうすれば乗り越えていけるか、…。ここをクリアしなければ、新しい世界などつくりだせない。この私は一小説家として生を終えるだろう。あとは、あなたたち自身に考えてほしい。

世界は悪や矛盾を抱えてはいるが、いまここにある世界は、過去にあったどんな社会よりも、いくらか良いものであると私は思う。希望はある。…」

「あなたたち」って、私たちだろうか、と思ったら、どきっとした。氏の夢の重さを、私たちの世代は受けとめられるのか。いや、私自身にそこまでの覚悟はあるのか。誰もが世界を変える最初の一点となりうると、理屈では知りながら。

(2000年に書いたものらしい・・・)

『深海ノート』を移し終えました。

「うわ~、ここ直したい!」などと思う箇所がいくつもあるけど、

書き換えだしたら別のものになりそうなので、そのままにしました。

少々恥ずかしいものになってしまいましたが。


日付が2000年のものと2002年のものがある。

31のときと、33のときか。

まだけっこう、泥沼の中にいたんだなぁ。

考えてのベースは今も変わらないけど、うつとか自己とかの苦しさは、

このころとは比べ物にならないくらい、霧散した。

当時の私よ、がんばってくれてありがとう。