『竜馬がゆく』 お出かけ編3-5(麻布十番~青山) | コナン・ジムシーのブログ

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本の感想?を書いています
100冊/年?は読みたいです

古い記事でもコメントもらえると
うれしいです

昨日 土曜日も 朝から 会議だの たまってるメールを捌いたり だので 帰りが遅くなってしまい (ノ_-。)

 

おかげ 密かに 次の土曜(休日)出勤のとき 

 

せめて 通勤経路の駅は 制覇しようと思っていた

 

 

ガンダム スタンプラリーが出来ませんでした (-_-メ

 

キーーーッヾ(*`Д´*)ノ"彡☆

 

 

 

失礼致しました 取り乱しました

続きです

 

白金高輪~天現寺 南麻布 光林寺 海援隊 菅野覚兵衛~慶応義塾~三田 江戸無血開城 会見の地 薩摩藩蔵屋敷跡~大門 安養院 長岡謙吉~麻布十番 一ノ橋 清河八郎 遭難の地 と来ましたが

次は ~六本木~青山に向けて テクテク 歩き続けます

 

 

因みに地図で見るとこのエリアをテクテクしてます

 

 

 

都道319号線 外苑東通りを 六本木に向かってます

これは 左右の様子

 

 

そして 六本木ヒルズ

 

 

ここ 六本木6丁目は ヒルズが出来る前は

500世帯が住む 道が狭い 防災上問題があるような町だったらしいです 地権者権利変換(?)でその8割がヒルズに住んでいるのだとか。

6丁目に代々170年店を構えていた元金魚屋さんの記事がネットに載ってました 今その場所にはティファニーがあるんだと

 

長府毛利家の屋敷があったと聞いていたし 毛利庭園跡もあるし

ヒルズというくらいだから この辺は 山の手なのかと思っていたんですけど?

ヒルズと言っても 実は わざわざ 土を盛った と言う話を

どこかで聞いた気もするし

 

ウィキペディアくらいでは載ってないです 

う~ん ちょっと すっきりしない (ノ_-。)

いずれ また

 

 

次の目的地は

テレ朝脇のトンネルをくぐって

 

 

青山霊園です

 

 

山手線の内側 六本木からすぐ近くの この広大な緑の地

 

まったく みなさん いいところに 眠っていらっしゃいますね

 

このとき 季節が 初夏 5月だった (Σ(゚д゚;)) ので 

なおさら 気持ちのいい風が吹いていて 

 

 

まぁ とは言え 墓地なんで 

手放しで 気持ちいいところだぁ とは 言いづらいですが (^_^;)

 

 

ここに この人が 眠ってます

後藤象二郎です

 

 

幕末 山内容堂の信頼を得て 大監察 参政に就き 土佐藩を率いました 歴とした上士ながら 坂本さんと交流し 大政奉還実現に努力しました

『竜馬がゆく』 でも 重要キャストでしたね

確かに 郷士である坂本さんは容堂を動かせませんし 容堂が土佐藩の背景を持って建白書を提議しなければ 慶喜も 大政奉還を決意しなかったかもしれませんしね

 

 

さすが 後藤さん 少し 墓がでかい

 

 

 

じつは もう一人

 

この霊園で お参りしたい人がいます

 

 

そう 坂本さんの初恋の人といわれている

平井加尾さん

 

大河ドラマ 『龍馬伝』では 土佐 高知出身の広末涼子が演じていました(しつこいですが観てませんでした(^_^;))

 

二人は4つ違いの幼馴染 

龍馬の姉 乙女と 加尾は 一弦琴の師匠が同じであったこともあり

互いの家を行き来する間柄であったらしいです

 

 

 

まぁ 実は 『竜馬がゆく』 では

出てこないんですけど

 

 

一番手前に西山加尾と書かれています

 

加尾の兄 平井収二郎は土佐勤王党で 武智半平太に次ぐ リーダー的存在で 『竜馬がゆく』でも けっこう出てきてました

 

ただ 8月18日の政変で長州藩が京から追放され 隠居 容堂が藩政に復帰すると 勤王倒幕に突出する勤王党弾圧の過程で 切腹を命じられてしまいます

 

竜馬の有名な台詞で 日本を今一度洗たく致し候 ってのが 乙女姉あての手紙で出てきますが その手紙に 収二郎への仕打ちへの憤りとともに 加尾を心配する文章が出てきます。。。

 

『平井の収二郎は誠はむごいむごい』

『妹お加尾の嘆きは如何許りか』

 

 

司馬遼の 『竜馬がゆく』 では 平井加尾としては出てこないですが 

でも 明らかに 加尾をモデルにした お田鶴様が出てきます

 

坂本家を預かり郷士とする家老 福岡家のお姫様として

 

のち 三条家に出仕していることや 龍馬が 男装(旅装)を準備するよう手紙を書いている件(くだり)などは どうみても 加尾をモデルにして お田鶴様を書いてます

 

ただ、本物の加尾さんは 龍馬とは 脱藩以降 会えていないようです

龍馬26歳 加尾さん22歳 の 別れ   

 

 

加尾さんは のち 西山志澄と結婚 

西山は 土佐勤王党の流れを汲む 自由民権運動に参加 衆議院議員 警視総監等を歴任 

明治の時代を生き抜き 加尾と添い遂げています

 

 

 

 

ジャスミンがところどころ 自生していた 青山霊園を

あとにして 青山通りに向かいます

 

 

-コナン-