こんちわっす。
Happy Personバタコです。
ある日の私
どうですか?みなさん気がついたら
2025年も明けて22日(約3週間)経ってますよ。笑
信じられないくらい早いですね。
もう2026年来ますよ(それは言い過ぎよな笑)
久しぶりになってしまったブログですが、
正直かなり書くか迷ったんですよね。
なぜなら、直接私のことではないから
それでも、この内容を書く事で
誰かの為になるかもしれないと思ったのは
私達家族が、調べても調べても
なかなかこの病気の情報に出会えなかったから
同じ病気で闘う方
それを支える家族、仲間、恋人
希少疾患で闘う全ての方
願わくば、誰かの支えや希望になれたら
そんな嬉しい事はないと思ったので
このブログだけ書くことにしました。
長くなり、拙い箇所もあるかと思いますが
希少疾患と闘う弟の姉としての目線で
感じたことをお伝えさせて頂きます。
温かい目でお読み頂けますと幸いです。
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2024年1月22日AM3時30分頃
全員が寝静まる真夜中
弟の奥さんからの電話で目が覚める
「大ちゃんが脳出血で倒れました」
何を言ってるのか
全く理解できず、意味がわからず
時が止まる。
本当に聞こえるのは
自分の心臓の音だけで
何も聞こえない。
部屋の電気をつけたはずなのに暗い
ストーブをつけたはずなのに寒い
暗い、寒い、痛い
何て言っていいのかわからない
どう電話を切ったのかも覚えてない
父も母も喋らない
言葉が声が何も出てこない
泣きたい気がするのに泣けない
すぐ、横浜へ飛んでいきたい
でも、まだ新幹線も飛行機も動いてない
関西から車で8時間
冷静に考えて、飛行機に乗る方が早い
それでも1秒でもすぐ、家を出たくて、
車って思った記憶がある
そこから、一睡もせず2時間
父から
「お前は会社に行きなさい」
「何かあればすぐに連絡するから横浜へ来い」
と、言われる
2024年1月22日(月)
この日から私は取引先へ
上司と後任の方と一緒に
退職の挨拶に回ることになっていた
22日(月)だけで6社程アポを入れていた
全社、時間を作ってくださってる
でも、こんな時に弟より仕事なのか
私は父に「いや、横浜行くわ」って言った
父は「冷静になれ、今行って出来る事はない」
「お世話になった方々へ、最後挨拶をして来い」
ニュアンスでこんな事を言われた
6時前には両親は家を出発し、空港へ
私はいつも通り準備をし、出社
めちゃくちゃ天気は良いけど寒い
今から挨拶がある、みんなの前では泣けない
しっかりしろ自分と言い聞かせ
歩き始めた瞬間、涙が止まらなくなる
弟は、今、どうなっているのだろうか
生きてるのだろうか
痛くないだろうか
いつのまにか駅に着いて
会社に着いて
1社30分くらいの挨拶が6社
3時間が一瞬で過ぎて
挨拶で何を話したか
1年経った今、全く思い出せない
上司から何か言われた記憶もないから
多分、変な事は言ってない笑
大丈夫だったんだろう
両親から連絡はない
弟に万が一のことは起きてない
きっと、大丈夫なんだろう
よくわからない状態で1日を終え、帰宅
翌日も出社し、両親と入れ替わりで24日より
横浜へ
弟の奥さんと一緒に病院へ
倒れて2日目の弟、どうなっているのか
病室はナースステーションの真横
最も重篤な患者が
24時間体制で管理される部屋
何で、、、私の弟がこんなとこに?
意識はあると聞かされていた
話せるとも聞かされていた
でも、管だらけの弟を見た瞬間は
想像を絶する程ショックだった
(何で、大が・・・)
(何をしたって言うだ・・・)
弟は、私を見るなり
「ごめん」って言って泣き出すし
こちらも泣きそうになるけど
一言、はっきり言ったのは覚えてる
「何も謝るようなことはしてない。」
出血が原因で、呂律は回ってないが
話せる姿を見て、少しホッとした
その日は、弟の家に奥さんと帰って
しばらくして病院から電話がかかってきた
何かあったのか。
この時期、病院からの電話には
ものすごく、ナーバスになっていた
病院から「明日病院へ来れますか?」
「検査結果が出て、確定診断が出ました」
弟の奥さんが「行きます」と言ってくれ、
私と奥さんで、確定診断を聞くことになった
確定診断を聞いたのは、1月25日(木)
私と弟の奥さんの2人かと思いきや
弟本人も聞くという・・・!
お医者さんから本人の強い意向だと言われる
確定診断は一瞬だった
「ショックを受けるかもしれませんが」
「もやもや病です」
「10万人に1人の難病です」
私、奥さん、弟「はい」
30代半ば、お酒も飲まない、タバコも吸わない
特別太ってもない、高血圧でもない
そんな人間が、脳出血を起こすのには、
「何か疾患がある」そう考えてくれた
お医者さんが検査してくれた結果だった
「難病と言われるとショックだと思いますが」
「希少疾患です」
「めずらしい病気ということです」
「難しい病気ではありません」
と、言われたことが頭に残ってる
ベッドに戻った弟は、覚悟していたようだった
「多分そうだと思っていた」
「なんやねん。もやもや病って」
「ま、10万人に1人は俺っぽいけど」
って言っていた
私は弟に、何も言えなかった
両親には私から言ったけど
反応すら覚えてない
▪️もやもや病
原因不明で、首の血管が細くなる疾患
それにより脳に血流がいかなくなる。
血流が足りてない脳がやばい!となり、
勝手に血管を作ってしまう病気。
その血管が脆く、圧がかかると出血する。
(これは、私の弟の場合)
場合によっては、そもそも血が足らず
脳梗塞を引き起こす方もいる。
虚血性、出血性どちらもあり得る。
病気になる原因は不明で遺伝子可能性がある。
先天性で一生完治する事はない。
そこから1ヶ月入院、
1ヶ月後2月20日前後、リハビリ病院へ転院
右脳で出血し、左手左足に麻痺が出ていた
幸いな事に、麻痺は軽かったが
日常生活に戻る為には、リハビリ病院へ転院した
ここで、驚異的な回復を見せる
長ければ2ヶ月ほどの入院と言われていたが
医師判断で3週間せず退院
ここまで来ると、見た目は、ほぼ普通
倒れる前の弟と、ほぼ何も変わらない
元気な姿を見れてホッとするも、脳の中には、
いつ再出血を起こすかわからない血管があり、
病気は今も進行を続けている
時限爆弾を抱えてる、弟本人が
1番怖いのは当たり前だが、
本人は特に何も言わず
GW明けには会社にも復帰した
もやもや病は、出血したからと言って
すぐに手術するのは、
一般的な治療ではないらしい
出血が止まれば、
先に麻痺した部分の機能回復を図り
そこから、脳に血流を送る
バイパス手術を行う事で
もやもや血管へ血流がいくのを予防するのが
一般的らしい
あくまでも、予防であり
完治はないのが悲しいけど
もやもや病の名医を調べに調べ
6月初旬には3つ目の病院へ入院し
出血した右脳のバイパス手術
10月下旬に左脳のバイパス手術
一般的に、脳が安定するのに3ヶ月程かかり、
1月22日に倒れた弟が
最速で手術できるのは、4月下旬だった
6月初旬になったのは、その先生が人気で
その先生にお願いしたかったら
ここからまた3ヶ月は
脳に新しい血流の定着を図る為
2度目の手術は10月下旬になった
その先生の最短で、この日だった
倒れても、リハビリをして
元気な姿に見えても
頭の中に、時限爆弾のようなものを
抱え続けてると思うと
姉としては、ものすごく怖かった
私が怖いのだから
本人の怖さは、計り知れない
手術までに、また出血するのではないか?
何度も思ったし、連絡がある度に
次は何が起きた?と、心配しかなかった
2回の手術が終わった今も
再出血しない可能性がない訳ではない
そんな保障、どこにもない
あくまでも手術は予防なのだから
こんな手術2回も受けて
それでも予防なのかよ!って、思ったし
何で治らないんだよ!って、思ったし
何より、何故、私じゃなかったのか
って何度も思った
同じ両親から生まれてるのに
弟には、奥さんも子供も2人いるのに
まだまだ守らないといけないのに
なんで、なんで、私の弟なんだよ
なんで、私じゃなかった
すごいバカな事をこの1年何度も考えて
脳の首の血管って、移植できないのかって
血液型も一緒で、移植できるなら、
今すぐに、この脳でも、首でも、差し出すのに
何でそれが出来ないんだろうって
何で、こんだけ医療が発達してる世界で
私の弟の病気は、完治しないんだろうって
考えても意味のない事を何度思っただろうか
変われるものなら変わったわ
でも、変われないんだよ
だから、見守るしかないんだよ
出来る事って、見守るしかできないんだよ
生まれ変わったら、絶対医者になろうと思う
見守るしか出来ない
それがどれだけ無力だと思ったか
命の危機を目の当たりにしたにも関わらず
何も出来ない絶望感
だから、生きるしかないんだよ
命がある以上、生きるしかない
間違えても死にたいなんて言うなよ
少なくとも私の前では
やりたいことがわからないとか
やりたいことなんて、特にないって言いながら、
生きてるやつを見ると無償に腹が立つようになった。
やりたいことに溢れてるのに
命の狭間にいる人間にその命渡せよって
本気で思うんだよね
人の人生なんで、とやかくは言いません。
自分の命をどう使うかくらい自分で決めてよ
この1年で、明確になったことを
ハッキリ言います。
何がしたいかわからないって言う人、嫌いです。
そんな人とは、私は、
この先、一生交わりません。
自分に、他人に、甘えるのもほどほどにしろよ
この世の中には自分の命の生きる怖さと
闘ってるやつがいるんだよ。
何したいかわからないなんて、
命の無駄遣いが過ぎる。
贅沢すぎる悩みなんだよ。
最後に、1年経って言える事は、
お陰様で、私の弟は元気です
社会復帰して、会社に行ってます。
家族と元気に過ごしています。
文字だけ、長文で、読みづらかったと思います。
私の話ではないのと闘病記録ではないのと
この話はこのブログだけで完結させたかったので
この形式で書かせて頂きました。
お読み頂きありがとうございました。
全ての今を生きてる方へ
前を向いて、この時代を一緒に生きていきましょう。
この話は、これで終わり!
以上、ありがとうございました。













