モニターセッションに来てくださった
Oさん。



好奇心旺盛で
学ぶことも好き。
子供のような天真爛漫さがある。



楽しいこと大好き!
面白いこと大好き!
家族が大好き!



黄色があらわすような
子供のようなピュアさを
大人になっても持ち続けている。




ただその反面、
心の中で暴れる小さな子供の自分を
どう扱ったらいいのかわからないまま
モヤモヤしながら
数十年生きてこられた。









黄色は、ほんの少しでも
インパクトがあって目立つ。

黄色信号
黄色帽子
思わず、あ!止まれだ!
気を付けろ!注意!
そんなイメージが湧く。



でも、半面
華を添えてくれる存在でもある。

黄色があるだけで、
その場がパッと華やぐ。
注目の的なんだ。




そんな存在なんだけど、
誰かに、
「あなたは可愛い黄色ね。」
「あなたのキイロは元気になるわ。」
「あなたが黄色そのものね。」

鏡のように写して欲しい!!
黄色と感じさせて!!
ともがいているようだった。




黄色の補色は、むらさき。

そういえば、
わたし学生時代は
むらさきのアパートに住んでいました。

友達のおばあちゃんからは、
「むらさきさんね^ ^うふふ。」
と認識されてました。

ちょっとした、こばなし。




話を戻して、
紫って、子どもとは正反対の立ち位置
にいる存在だなって思う。




成熟した大人で、
しっとりとした手触りで
子どもとは違うベクトルの
湧水のような
その場に望んできた人だけが
出会える秘境みたいな、
日常から離れたような世界観。




子どもの拡散的な
その場にいて動き回る魅力とは違って、
その場にしっとり佇む。



紫って、
赤と青のミックス。







冷静と情熱
どちらも持ち合わせている。

男性性と女性性
突き放すと受容
分かると分からなくてもいい
好きと嫌ってもいい
決めたけど、変えてもいい



その芯には、
確固たるスピリットがある。




ないない、と探しているうちは、
ないのだ。
いくら目の前にあったとしても。




紫は、
何か脈脈と流れる
あなたが本当に
大切にしているものは何?

あなたを作ってきた
構成してきた要素は何?

そう問うているようでならないのです。




それは、
わたしは望んでいない・〇〇された
そんな相手も自分も
否定がベースにある世界観では
到底見えてこない。
あなただけの希望がある。




黄色に振れすぎているようなときには、
紫を思い出して欲しい。

あなたがあなたであることを
肯定できるのは、あなただけなのだから。





今日も、思い出した経験とある人について
書いていこうと思います。



27か28歳ごろに、
有名な調香師さんの個人セッションを
受ける機会がありました。



その時言われた衝撃の一言は、

「あなた、オカマの少年になっているよ。」

と言われたこと。




当時は、ショッキングすぎて
口があんぐり空きました。




さまざまなトーンの香りを
次々嗅いで行き
その香りとリンクする言葉を
どんどん伝えられていき、

行き着いた先が、
「オカマの少年」だったんです。




その時は、
恥ずかしいやら、
悲しいやら、
怒りたい気持ちもあったり。

でも、そんな感情を出さずに
ぐっと抑えていました。



そこに反応したら、
そんな情けない現実を認めてしまうようで
怖くて仕方なかったんです。

わたし、オンナなのに
オンナじゃないじゃん。みたいな。









今考えれば、
ただ現状はこうだよ、
でも、この香りで
本来のあなたに戻っていこうね。
みたいな話だったんです。




でも、あの時のわたしは、
わたしがわたしのオンナを否定して
しまっていたんだなと。



あんたはオンナとして価値がない。
男の方が得。
とか。




やっぱり、わたしは女として
魅力がないんだ。
ダメなんだ。




そんな風に、男性調香師から
烙印を押された気持ちに
なってしまっていたんだ。









正直、あの時
傷付いたな。

なんとも痛かった。




被害者意識とか、
悲劇のヒロインって、
自分を強く根底で否定してしまっている
ことから、過激になっていくなって思う。




でも、まず
見えない心から
多量出血してるんだから、
それは人には見えないんだから、

自分で絆創膏を
貼ってあげられたらよかった。




痛くないし、なんて
強がらなくて良かった。

SOSを出して
119番で人に頼って
泣いて怒ってぐちって、甘えれば良かった。




でも、あの時あの香りがあったから
わたしって女なんだよね。
って自覚できて、
女を生きようと思えたんだよな。




女の形も、いろいろなんだ。

オンナも個性の形なんだ。






書きたくなったことがあり、
書いてみます。









鹿島神宮にお参り。

樹叢がとてもとても大きく、
太く、どれだけの歴史をここで
見守ってこられたんだろうと
思った。



そして、
その空間で過ごすことで、
気がついたことがあった。



わたしは、
自分で自分の感情に寄り添い
共感することが、
今までは出来なかったことが
多かったんだなと。



ただただ、そうだよねー
それは嫌だったよね。

そうだよねー怒りたくなるよね。

そうだよねーそれはがっかりするよね。




ただそうだよね、と
共感することができないことで、

人と闘ってしまったり、
相手のせいにしてしまったり、
自分を大切にしてくれない人と
繋がってしまったり、
相手の個性をそのままに違いだよねって
受け入れられなかったり。









結局のところ、
自分を自分が否定している限り
自分を守ろうと必死になるばかりで
そこに相手は存在しなくて。




損得感情で動いて、
わたしにとって得なのか?
どんな見返りがあるのか?
を無意識に考えているから、
同じような人とのご縁が結ばれてしまっていた。




わたしはそれを本当に求めているの?

NOだ。




気づいたことは、
自分が自分らしく生きることを肯定していくこと。

誰にいいね!と言われるのでもなく、
誰かみたいに生きるのでもなく、
誰かに認められるでもなく、

わたしがどうしたいのか?
わたしがどう生きたいのか?




もし、黒のように生きたいなら
黒でもいい。

赤のように生きたいなら
赤でもいい。




わたしは?

サーモンピンクのように生きたい。




自分を否定しない。
わたしだけはわたしを肯定する。
ただただ受け止める。
気持ちをありのままに認める。




ピンクは、
オーラソーマ的に言えば
赤に強く光が当たったもの。




情熱
子宮の声
わたしの生きる源泉

そこにオレンジが加わってる。
すべてを、わたしの過去
全ての通ってきた道のりを
わたしが◎にする。

わたしがわたしを許します。

その時の最善を尽くしていた。
あの時のわたしにできることは、
あの時最大にやった。

もう誰のせいにもしない。