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由☆YOU☆遊戯~ゆかり-縁-ブログ~

自由気ままな私から、お越し下さる皆様へ☆ゆかり-縁-のつながるブログ。

普段会えないからこそ、

こうやって何かを開催すると

やる気も元気もひとしおとなり、

さて、公演に向けてちゃんと動かなければ!



と、思った翌日の朝。


父の唯一の兄妹で看護師でもある叔母から

父が危ういとの連絡が母の携帯に入った。



あんなに弱っていたことを知っていたのに、

あんなに病室で看病され

細かく気にかけられている姿を見ていたのに、

あんなに緊急入院時に

もってあと1週間と言われていたのに、



何にも信じてなかった。

ずっと生きてると思ってた。



バタバタとみんなが急いだ。

急いで、用意した。

でも、信じてないから、

万が一このまま夜までもったら

きっと母はまた病室にお泊まりするから、

ちゃんと準備も持っていきなよ!

なんて母に声がけし、

その準備に手間取る母から

あんたたちは先に行きなさいと言われ、

母をおいて妹と私は父と叔母が待つ病室に急いだ。



病室に着くと、

一人で不安が隠せない叔母がほんの少しだけ安堵し、今の父の状況を細かく教えてくれた。

それを聞きながら、父の手を取る妹と私。


父の手が、いつにも増して冷たかった。

肌の色も血の気が引いていて、

すでに白く見える。



妹はすぐに病室を出て、車で家に向かった。

早く母を連れてこなきゃと思ったらしい。



残った私は、叔母と一緒に

父の体をいっぱいさすった。

いっぱい声かけた。


病室で父に繋がったベッドサイドの心電図が

元気なく、なんとなく、それとなく、

どんどんと落ち着いていくのが見える。



まだ頑張れ

まだ待って


まだキヨちゃんが来てないから


もっと頑張って



叔母が擦りながら声をかけ続ける。


私も、同じようなことを繰り返す。

繰り返すが、、

ほんとのところ何て言って言いかわからなくて

繰り返すしかなかった。



午後0時05分。


父に繋がる心電図がまっすぐになった。

数字が0ってなってる。



でも、何も変わらなかった。

目の前の父は動かないままだし。

手は相変わらず冷たいし。


何も変わってなかった。


。。。


それからしばらくして、

母が病室に走ってきた。


後ろから妹も入ってきた。


本当はもう何分も経ってたと思うけど、

叔母も私も

ついさっき、まっすぐになったってことを伝えた。



母はすぐ泣くこともなく、

でも戸惑いを残して、いつもの感じで

うんそっかと言いつつ、

足早に父の隣に行って

手を取って

ごめんね

って言った。



それから、すぐに叔母の手を取って、

ごめんね、すぐ来れば良かったのに、ごめんね

っていっぱい謝った。



私が、余計なこと言わなければ、

母にお泊まりの準備を勧めなければ、

あの大事な、大切な時を母が見送れたのにと

私は悔やんだ。


ごめんねって、

父にも母にも心の中でいっぱい謝った。



妹は落ち着いていた。

兄貴にはすぐに連絡した。

弟にもすぐ連絡した。

みんな落ち着いてすぐに父の元へ動き出した。



その日、

遠方の弟以外はすぐに集まり、

みんな病室で父を眺めた。


そして、豪華な個室を去るときが来た。

父の体は、人生最後のルートで病院を出て、

入院生活を終えた。


私たち家族と叔母夫婦も、

父の人生最後のルートを共に移動して病院を出た。




それからしばらくして、

父は家に帰ってきた。


仏間に父が布団で寝ている。

いつでも触れる父がいた。


みんな、お帰りって言った。





続々

こんばんは☆

もうあっという間に6月が終わりますね。


何て早いんだ。6月。



今月は、始まりから終わりまで、

だいぶ怒涛の1ヵ月でした。



まず、先月末に仙台公演の稽古のため実家に帰るも、父の体調が半日ごとに悪化するような状況で

遂に緊急入院。

今日明日が危ないと言われる。


※実は4年前くらいからの闘病による流れでした。

今年3-4月辺りから緩和治療に変わり、5月半ばから在宅看護に変わったくらいでした。。

でも、まさかこんなに急に、急変すると思っておらず。。



ちなみに、父の緊急入院の日、

私は6月の仙台公演の告知の為、

ほぼ10年くらい振りのラジオ出演をさせてもらい、

リスナーさんやスペシャルMCなりちゃんのお蔭で

楽しくこなした。

ラジオ局の方々も温かい雰囲気で居心地良かったな😁🍀




こんな楽しかったのに、
この数分後には
最期になるかもしれない父の日のプレゼントを
泣きながら購入し、
急いでお家まで車を走らせた。
情緒不安定…💦


で、ラジオ後にお父さんの状態を聞いたら、やはり状態は良くはないが、今日明日…ではなくなったとのことで、若干の安堵。
お医者さんも、この数年でとても信頼している方がついてくださり、看護師の方も優しく頼もしい方たちで、病室なんてちょっとしたホテルのようにシャワーも付いた11階の個室を使わせていただき、なんだか急に非常に恵まれた環境になった。


そこからスタートした6月は、
結局父と離れがたく、
私は全ての予定をブッチして
仙台に居残った。


いろんな方面の方に
ご迷惑をかけたかもしれない。。
(その節はすいません🙇‍♀️)


でも、みんな温かくお気遣い頂き、
お蔭で久し振りに父とものんびり戯れたり
(ほぼ意識は無かったけど)
実家で母の代わりにご飯係りをやってみたり
(兄弟が集まったりしてたからね)
生まれたばかりの妹の子供の
お風呂サポートやオムツ換えをしたり
(たぶん30数年振りのお世話で、
赤ちゃんのお世話用品の進化を実感)



なんか、

久し振りにゆったりじっくりと

家族との生活を送ることができました。




で、



父の容態もなんだか安定している?

って感じのときに、

ろくがつ企画の公式Twitterより、

人生初のスペースを開催。


昨年10月より徐々に準備してきた

ろくがつ企画仙台公演『ろくがつのたからばこ』

のお知らせを兼ねて、

今回演者として参加するメンバーと

わいわいやってきました(*´ー`*)



普段会えないからこそ、

こうやって何かを開催すると

やる気も元気もひとしおとなり、

さて、公演に向けてちゃんと動かなければ!



と、思った翌日の朝。


父の唯一の兄妹で看護師でもある叔母から

父が危ういとの連絡が母の携帯に入った。



あんなに弱っていたことを知っていたのに、

あんなに病室で看病され

細かく気にかけられている姿を見ていたのに、

あんなに緊急入院時に

もってあと1週間と言われていたのに、



何にも信じてなかった。

ずっと生きてると思ってた。



バタバタとみんなが急いだ。

急いで、用意した。

でも、信じてないから、

万が一このまま夜までもったら

きっと母はまた病室にお泊まりするから、

ちゃんと準備も持っていきなよ!

なんて母に声がけし、

その準備に手間取る母から

あんたたちは先に行きなさいと言われ、

母をおいて妹と私は父と叔母が待つ病室に急いだ。




2023年6月6日(火)12:55

父 近藤政雄が永眠しました。


2019年6月 人間ドックで見つかった食道癌。

手術と抗がん剤と放射線治療で

何度も何度も闘ってきた4年間。


周りで見守る家族も友人も親戚も

みんなが望んだ回復を

本人が一番望んでいたと思う。



晩年…という言葉を使わなければいけない切なさ。

癌との闘病期間にも

本気の笑顔がいっぱい溢れていたことは

絶対忘れない。


死に向かう自分への恐怖に

漏らしたくない弱音を漏らし

晒したくない醜態を晒し

自分が情けないと思いながら、

それでも

少しでも良くなりたいと

最後まで諦めなかった姿を、心を、

絶対に忘れない。



自分の父親を尊敬し、

その威厳溢れる姿を追いながらも

全く違う父親となり、

冗談が好きで、面白いことが好きで、

心のままに怒って、笑って、

息子に肩組まれて酒飲んで顔赤くして、

娘に怒られて、反論されながらも全力で応援して、

お母さんに叱られ、拗ねて部屋に籠ったりして、

それでも記念日は忘れずに

根回しのメールを家族に送って、



そんな真面目な、頑固な、面倒くさいお父さんが、

私には、今とても愛おしくて、大切で、

失いたくない存在です。



寂しいよ。お父さん。



やっぱりどこまで遅くなったとしても

早すぎる父の死が

悔しくて、憎いです。



けど、もう痛くないもんね。

心ではずっと話しかけるもんね。



明日骨になっちゃう予定だけど、

今の顔も、写真の顔も、

絶対に忘れない。



こんなに話したくなるお父さんを、

私は絶対忘れないよ。


絶対に忘れないね。




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今日6/11(日)17時~お通夜

明日6/12(月)10時~葬儀

      11時~法要

      11時半出棺

      12時半火葬

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