認知症と向かい合う | 『井福来/若芝/山風木日記』

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ようこそ『井福来/若芝/山風木日記』へ! 私たちの活動が少しでも伝われば幸いです。令和6年6月1日にふじしろデイサービスは移転してデイサービス井福来となりました!

先日、職員がこんなことを言っていました。


「自分の高齢の母親には、普段、仕事で利用者様と関わっているときのように優しい声掛けや、穏やかな対応ができないよね。やっぱり、仕事であるということは全然違うねぇ。」


何気なく言っていたことではありますが、非常に大切なことに気がついていると思います。頭で分かっていても上手にいかないことがたくさんあります。そういう中で、職員なりに模索して、挑戦して、疑問を持って、日々の仕事と向かいあっていることがよく伝わってきました。


一方で、


「そりゃそうだよ。お金もらってサービスを提供しているのだから、家と同じじゃ駄目だよぉ。気配りの利いたサービス提供は仕事として実現できているのだよ!」


という考えにつながる人もいると思いますが、これでは少し浅い解釈だといえます。役割が違うのだと思います。家族には家族だからできる様々な役割があります。そして、私たちには社会資源として担わなければならない役割があります。目指す方向が同じでも、家族と事業者では実現のプロセスや方策が異なるわけです。共に協力していくことも多々ありますが、家族だからできるいろいろな気付きもあるでしょう。事業者(第3者)だからできる冷静な判断もあるでしょう。これをしっかりと認識することが大切だと思います。


認知症の利用者様に穏やかな時間を提供することは、どういう意味があるでしょうか?意地悪な言い方をすれば


「すぐに忘れてしまうのに・・・。どんな意味があるの?」


ということになります。しかし、それは絶対に意味があると思うのです。ある瞬間に感じた心地よさは、余韻として残らないだろうか?逆に、嫌な思いをした場合にはイライラ感が後に残らないだろうか?こういった経験を現場の職員はしているはずです。


■今日は朝から少し怒らせてしまったかもしれない。だから、1日中落ち着かない時間を過ごさせてしまった。。。
■今日は朝の挨拶から上手にコミュニケーションが取れた。そうしたら、私の方を見てよく話しかけてくれた!


家族にはこういった気付きや時間作りは難しいかもしれません。常に一緒にいるということは、普段から喜怒哀楽が入り混じった生活をしているということで、それが普通なわけです。わざとらしい演出を家族が自宅で行うことは難しいでしょう!でも、事業所ではできます。狙いを持って関わることができます。そしてその方の感覚に訴えることができます。その余韻は必ずご自宅に戻ってからの時間にも影響する(と信じています。)。
そして、家族は新たな情報や気付きにたどり着く・・・こんなサイクルを作り上げることで、利用者様本人の生活/人生を構築していくのだと思います。


ご家族にとっては、不治の病(認知症)を上手に受け容れることが難しいことがあります。普通に生活しているようで、実は病気・・・薬を飲んでも治ることのない病気・・・。でも、買い物にも行くし、一緒に元気に出かけることもできる。でもやっぱり、感情面でおかしい・・・。こんなことを考え続けるのが家族だと思います。


私たちもいろいろな方法を考え続けなければなりません。ご利用拒否にめげることなく、何度でもお迎えに参ります。だって考えてみてください。突然、現れた人のよさそうな若者がうまい話を持ちかけてきたら、怪しくありませんか?警戒心は誰もが持つ感覚です。普通に考えてまっすぐに向かい合いましょう!