英語を担当している講師が、なぜか他大の哲学科の教員という
訳のわからなさ(-_-;)
Academic Writing という哲学全く関係ない授業なのだが(笑)
その先生は普段、
「ロボットに心はあるのか」「脳に心があるのか」
なんてことを考えているお人
そんな答えのない問答に人生を賭けている、途方もない人である
成績評価はとにかく細かいが、授業中は生徒にとっても甘いので
私は結構好きだったりする(笑)
かくいう私も、わりと日常的に「人間って・・・」と
思索に耽るので、実は哲学に向いていたのかもしれない(^^♪
病院からの帰り道、雨の中を歩きながらふと思ったのは、
「許容は理解を凌駕し、理解は許容を内包しない」
ということ。
例の神田さんへの返信を考えている時だった
出会って3年、今まで3回プライベートで食事をしたが、
正直神田さんは、何を考えているかさっぱり分からない、不思議な人だ
感情の起伏が緩やかで、めったに怒らないし泣かない
基本的には優しいが、その実、他人にはあまり興味がない
かと言って、冗談も言うし、冷淡なわけでもない
私が「掴めない人だ」と言うと、
「掴めるように頑張って!(笑)」と言ってくる
掴めるものなら、掴みたい
と思う
でも、どこまで行っても謎のある感じが
面白い、もっと知りたいと思わせる
そういえば、私の男友達たちは
いいやつだけど少し変わってるのが多い
各々、
どうしても理解できない部分、分からないところ
というのを持っている
それでも、いや、それだからこそ、
今でも飽きずに友達なんかをやっているのかもしれない(笑)
そこで唐突に、
「理解できなくてもいいのだ」と思った
以前の私は恋人に、
「私を理解してほしい、私の全部をわかってほしい」
と、自身を押し付けていた
理解し合うのが恋人だと思っていた
でも本当の望みはそれではない
「私のすべてを受け入れてほしい」
この一点に尽きる
受け入れる、許容するということは
そこに理解がなくても成立するのではないだろうか
ただ、あるがままを受け入れる、というのは
難しいけど、出来ないことではない
逆を言えば、理解は出来ても受け入れられないことは
世の中に掃いて捨てるほどある
私は、他人を理解することなど
一生不可能だと思っている
どんなに近くにいても、どれだけ相手を愛していても
「理解」はレッテルを張ることや、分類することに近く、
それは彼または彼女が本当に望んでいることとは程遠い
神田さんは、クラゲのような人だ
何も考えていないようで、
頭の中ではいろいろなことに思いを巡らせている
実体があるような、ないような
私には彼を理解することなど到底無理だ
私に何かを悟らせるような、そんな単純な人ではない
感情を隠すのが得意な彼の考えていることが分かったとすれば、
それは私の能力ではなく、彼がそう望んだから
面白いと思った
色んな人を見てきたが、全く掴めない人というのは、そんなにいない
誰だって、好意を持った他人には、自分を理解してほしくて
無意識のうちに自己開示をする
彼はそれが極端に少ない
むしろ、本心を悟られないように行動しているようにも見える
他の人に比べて私に有利なところがあるとすれば、
彼がほんの少しだけ、私に似ていたという点だけだろう
彼を受け入れる土台が、少しだけ強化された
「掴めなくてもいいと思う、その方が面白い(笑)」
それが、私の本心である