書くことが、無い。

ケータイを止められかけた。

ガスを止められた。

そのくらいだ。

もっと細かい話になると、ひとんちの大掃除を眺めてたり、ひとに来た手紙を眺めてたり、ひとんちのテレビを眺めてたり。

ゼミはサボった。

こんなに罪悪感が無いのは初めてだ。

そういえば無くしたと思ってたコーネリアスの"point"が見つかって嬉しかった。

次はアジカンが見つかるといいな。
学校には行くが、休講。

あとから同じ穴のムジナの顔したユージロがやってきて、やっぱり休講。最近まともに授業を受けた記憶がない。

ケン君と合流してとり福へ。E.B.の3人も合流。シチュエーションとして最高のバンド名だと思う。

なぜか1人1皿の鳥刺しを満喫。

居酒屋で腹が満たされるという稀有な経験をした。

いやだと言うのに元祖。腹いっぱいなのに元祖。元祖の中毒になってる人たちはマズさが癖になるとは言うが、正直言って癖になりたいとは微塵も思わない。

写真まで貼ってしまって凄く複雑な気分。

貼らなきゃええやんとは思うが。
帰福。最近「帰福」って言葉が多い。

4限だと思ってた授業が実は2限だった。5分しか受けれなかった。

遣る瀬無くなって本屋に行き宮部みゆきの「理由」を読んでみようか、と考えていた時に横にあった、宮沢章夫とかいうおっさんの「よくわからないねじ」という本に目がいく。

結局買ってしまう。

これがおっちょくってんのかと思うくらいどうでもいいことばっかり書いてて、実に笑える。実際、本屋を出た後、吉野家に行って豚丼を待つホンの20秒程度の間に買った本を開いてみると

「人はときとして、九州人になる」

んなわけねーだろ。

何を言ってんのかと思って読み進めると

「しばしば人は、風呂上がり、ついこんなふうに口走ってはいないだろうか。『気持ちよかったでごわす』」

言わねーよ。

そう突っ込んだ瞬間には、もう豚丼なんて頭の片隅にも無かった。


もう今更どうでもいい気もするけど、旅のお供だった音盤(の後半)
・"where the human eat"(willy mason)
・"red curb"(rei harakami)
・"music for egon schiele"(rachel's)
・"from a basement on the hill"(elliott smith)
・"....for and acted upon through diversions"(empty reel)
・"tonefilm"(hans appelqvist)

フェリーの出航の時に聴いた「guilty」は感動的だった。
寝ながら聴く分にはエリオット・スミスはうるさすぎた。
あと、2日間の旅行でCD12枚もいらない。
super furry animalsの6thのタイトルである「ファントム・パワー」という言葉が「見せかけの権力」と訳されるか「見えない権力」と訳されるかによって、一見して受ける印象は180度変わるだろう。

もちろん後者だということは、このバンドの性格を知ればすぐ納得できる。

しかし、ここで論じたいのはファーリーズが常に取り上げ続けている、第3世界の現状や、pax Americana・new colonialismについてではない。この日本におけるpowerについてだ。

以前、この日記で書いた神戸の裁判の第三回公判を傍聴してきた。


裁判官ってのはみんなああなのか?

被告側の弁護人と一緒になって、自分の娘が治らない傷を負った母親に対して「yes or no のそれだけでいい」「聞かれた事だけにさっさと答えろ」「この後も裁判が詰まってんだよ」といった言葉の数々。

母親にとっては、事件に関わってしまった娘たちと家族の無念を伝える唯一の機会である。証人としてではなく、意見陳述として己の心情を好きなだけ述べることは可能であるが、それでは裁判所の判断要素とはできない。反対尋問の辛さも覚悟して、己の訴えを裁判所に伝えようとしている人間に対する、片肘をついてのため息。

非人道的という言葉が一番しっくりきた。

まず裁判以前の問題として、公的な場で人の話を聞く態度ではない。

証人は尋問の開始時に「証言は全て裁判官の方を向いて答えるように」と言われた通り、裁判所に対し尋問に対する回答を述べているのである。

裁判という制度を少しでも詳しく知ったことのある人間(それは小学生でも)ならば「人が人を裁く」という根本の矛盾を疑問として持つのは当たり前だと思う。そして法学を志す人間はこの問題を抱えながらも先へ進まなければならない。ましてや法曹の人間とは一生の命題としなければならないのでは。

弁護士のネチネチ(実際に見てこうもこの擬音語が的を得ていることに驚いた)した尋問は、確かにひどかった。証人を小馬鹿にしたようなため息を交えながら揚げ足をとる。実際、傍聴席から怒声が飛んだ。その直後に裁判長の怒声が飛んだが。

しかしながら弁護士の最も優先すべき仕事とは、(当たり前ながら)被告に不利な証言をツブすこと。では裁判所の最も優先するべき仕事とは?

それはもちろん人権の保護に他ならない。事件の事務的処理ではない。片肘をついてあらぬ方を向きながら嘆息してみせることではない。無論、証人を威嚇する言葉を発することではない。

裁判所だけが市民を裁くことができるというのは誰もが知っている顕在化した権力である。「人権の保護」という目的のための「裁判」という手段。しかしながらパワーとはそれだけではなく、己の存在、一挙手一投足が「ファントム・パワー」さながらの直接的な影響力を持つことを彼らは知るべきだ。

彼らは特別な人間ではない。特別な権力を行使している機関に属しているというだけである。

彼らがそれを自覚できない、また自覚しても改悪してしまうようであるならば、世界がアメリカというパワーの誤った行使者を孕んでいるように、この国の市民生活の中枢をファーリーズが唱えているのと同種の「ファントム・パワー」が食い荒らすことになるだろう。


この国も、もう十分腐敗していることはあらゆる方面から知ることができるが、それでも法曹界という近しい世界に関しては、公判で「司法修習生」と銘打たれたプレートの席に座っていた人たちに意識を向けざるを得なかった。
門司からフェリー乗って神戸へ。

「ワールズエンド・スーパーノヴァ」を聴いていると何とも言えない気分に陥った。

CD変えて"the lemon of pink"を聴きながらレビューを想像してたら、実際に書けた。ので「道楽」のコーナーにでも書いてみようと思う。

今回のお供の音盤(の前半)
・"blue"(大友良英)
・"observing system"(tied & tickled trio)
・"the lemon of pink"(the books)
・"the world is mine"(くるり)
・"everything at once"(i'm not a gun)
・"sign"(竹村延和)