令和6年6月1日
まだ梅雨にも入っていないのに、もう台風昨日は
朝からけっこう降り続きましたね。
今日は太陽も出て洗濯にはよろしいかな。
そこで一句 「梅雨晴れ間、キャッチボールの小気味よさ」
一昨日のプレバトの出演者を大きく凌駕するこの一句
さて、白山神社から再び白山駅を通過して白山下の信号を左へ
浄心寺坂の途中に八百屋お七の墓所のある圓乗寺があります。
御朱印を始めた当初に訪問したことがあるんですが
様相が変わっており、少し驚いた。
圓乗寺(えんじょうじ)
山号:南縁山
院号:正徳院
寺号:圓乗寺
宗派:天台宗
ご本尊:釈迦如来
札所:江戸三十三観音霊場 第十一番札所
札所本尊:聖観世音菩薩
創建:天正9年(1581年)
八百屋お七墓所と刻まれた石碑が寺門左側にあります。
八百屋お七の墓について、境内掲示
そのとなり「指ヶ谷」とありますが、昭和39年(1964年)
以前はこの地域が白山ではなく、指ヶ谷という地名だった。
この地名の由来は、三代将軍 家光が鷹狩のおり
「あの谷も遠からず人家ができるであろう」と指で
示したことに由来するらしい。
ちなみに「さしがや」ではなく「さすがや」と読む。
圓乗寺ですが、都会的なビルのお寺、最近多くなったんですが
前に来た時と一変しましたね。
とりあえず、中でお参りを
ホテルのエントランスのような入り口から
寺務所の前に旧本堂、ここで一般参拝者はお参りするようです。
扁額、何もかもが新しくなってます。
新しく新発売
御朱印をいただく前に八百屋お七の墓所をお参りします。
一旦外に出て
手水舎でお清め
八百屋お七地蔵尊です。
八百屋お七の墓所でございます。
八百屋お七の事件
衝撃な事件で、いろいろ尾ひれがついて、諸説あるらしいが概略は
駒込にあった大店の八百屋の娘、お七..美貌だったそうです、
そんな天和二年(1682年)十二月二十八日、近くの寺から出火
下町、深川界隈まで燃え広がる天和の大火の大惨事となる。
お七の実家八百屋も焼け出され、この圓乗寺に避難し難を免れるが
そこで寺の小性(住職に仕え雑用を務める主として若い男)
※山田佐兵衛と恋に落ちる...恋に落ちて
佐兵衛の指に刺さった棘をお七が抜いた時、指と指が触れ合った
それで恋に落ちる....
やがて、お七の家も再建され、佐兵衛とはお別れとなったお七
彼に会いたい、もうその恋心はどうしようもなく、破裂寸前
そんなお七に一つのひらめきが
「そうだまた火事になれば佐兵衛に会える気がして...」
自分の家に火を放ってしまう、凄まじい女心ですな。
捕らえられたお七、天和三年三月火あぶりの刑にされた。
お七数えで十六
※この小性ですが、佐兵衛、左門、吉三郎など諸説あるようで
また避難先の寺も圓乗寺、吉祥寺、正仙院など諸説あり
現代なら、情状酌量、未成年を考慮して、女子少年院3年ぐらいの
罪ですかね~いわゆる人権弁護士先生の出番でしょうな。
お七と言えば、坂本冬美の「夜桜お七」
この八百屋お七がモデルらしいですね、しかしお七が火あぶりに
なったのが数えで十六、この曲の歌詞には二十歳と出てくる??
わからん
さて、圓乗寺ですが
オリジナル御朱印帳がありますよ
もちろん表紙は八百屋お七
裏表紙はこんな感じ
この御朱印帳に直書きいただきました。