令和6年3月4日
先日、ウルトラ怪獣のソフビがメルカリで高く取引き
されている話を当ブログ記事にしましたが、
いい歳して、懐かしさから
こんなソフビをヨドバシカメラで購入してしまいました。
ガラモンとケムール人 両者ともにウルトラマンの前身
ウルトラQに登場した人気キャラでございます。
これを見て、すぐにピンと来る方は、まあほぼ同年代でしょうね。
さて川崎大師ブログ、三回目でございます。
大本堂内で御守りを購入
川崎大師のキャラクター ひらまくんの御守り
よろず何でも御守りでございます。
大本堂から再び境内に下りてきました右に
経蔵があります、こちらもお参りできます。
平成16年大開帳奉修記念事業として落慶され、
中国最後の木版大蔵経「乾隆版大蔵経」7240冊が収蔵されている。
御本尊は説法釈迦如来
途中、様々な碑蹟があります。
こちらは天保四年の本堂の礎石で
旧本堂は天保5年(1834)建立され、宏壮な建物であったが、
昭和20年4月15日の京浜地区大空襲の戦禍を蒙り、諸堂とともに焼失した。
残念
宝篋印塔(ほうきょういんとう)です。
宝暦6年(1756)の建立と伝わる
宝篋印塔とは、宝篋印陀羅尼という経文を納めた
供養塔、祈願塔のことである。
田安宗武(8代将軍徳川吉宗の次男)が42歳の厄除け祈願のために
寄進した由緒あるもの。寄進当初は、本堂正面に建立されたが、
その後、安政大地震や関東大震災などによる倒壊や修築を経て、
現在では八角五重塔と経蔵の間の植え込みに移設されている。
この宝篋印塔は、田安家の川崎大師信仰を物語る貴重な記念で
あるだけでなく、田安家からの信仰の輪が徳川一門に拡がり、
やがて徳川歴代将軍の川崎大師参詣の
糸口となった意義深い記念塔でもある。
(境内掲示より抜粋)
8代将軍 吉宗の次男ということは、9代将軍家重の弟だね。
道標(みちしるべ)
寛文3年(1663)に江戸時代に盛んになった川崎大師の参詣に
伴い、道標が川崎宿下手の六郷川(多摩川)寄り入口付近に建てられた。
江戸時代の参詣者は六郷川を船で渡り、この道標に従って大師道へ進み
川崎大師を目指した。戦後、多摩川の道路改修に伴い現在の
川崎大師境内に移設された。(境内掲示より抜粋)
箱根駅伝の1区の重要地点 六郷橋 江戸時代は船で
渡ってたんですね。
道標に沿って正面に、落ち着いた雰囲気の日本家屋が
見えてきました。
中書院です。
昭和41年(1966年)5月に落成した、2つの茶室と庭園を
有しています。
正面に茶筅(ちゃせん)塚があります。
平成2年(1990)10月7日に
茶道裏千家淡交会川崎支部が、千利休四百年遠忌を記念して建立したもの。
実際茶筅が2つ埋葬されているそうです。
中書院の左に 福徳稲荷社
二拝 二拍手 一拝
この後、ラゾーナ川崎で良い買い物ができますように。
と、まあまあ 身勝手なお願いをして
そのとなり、不動堂に到着
まずはお清め
こちらの手水舎も柄杓あり、水もトクトクと流れております。
不動堂前の常香炉
不動堂にお参りです。
中に入ってお参りできます、撮影は
不動堂の掲額
不動堂から見た川崎大師のようす。
大聖不動明王 こちらも達筆に仕上げていただきました。
ありがとうございます。