2022年1月3日

 

 令和4年の日野七福神めぐり、眞照寺の次に訪れたのは

新撰組 副長 土方歳三の墓所 石田寺でございます。

 

東京都立日野高校の裏と言ったらいいんでしょうか、京王線の

高幡不動駅から徒歩で15分ぐらいですかね、1970年代は交通の便

悪かったでしょうね。

 石田寺の山門前に到着致しました。

あれ!! 近所のおっさんか、肝心な時に

フルコースディナーの最後のデザートに飛びこんだ

アブラムシの如く........なんて言ったらいけませんよね

すぐ 反省

  石田寺(せきでんじ)

  山号:愛宕山

  院号:地蔵院

  寺号:石田寺

  宗派:真言宗智山派

  ご本尊:延命地蔵菩薩

  札所:多摩八十八箇所霊場 86番札所

      日野七福神 福禄寿尊を祀る

 

  康安元年(1361年)に吉祥坊慶誉という方が開山堂を建てたのが

起源で天文13年(1544年)多摩川付近の大洪水で漂着した十一面観音

を安置し。文禄2年(1593年)慶心沙門が観音堂とは別に本堂を再建して

石田寺(せきでんじ)と名づけた。(境内掲示より抜粋)

 山門の扁額 「愛宕山」

 山門の脇に地蔵菩薩像があります。

 山門を抜けるとまず目に入るのがこの巨大な榧(カヤ)の木

石田寺のカヤと呼ばれ、樹齢は400年以上、日野市天然記念物

 六地蔵尊 石田寺では墓地区域入り口に建っています。

 この奥に土方歳三の墓所

 土方歳三の墓所の掲示

「歳進院殿誠山義豊大居士」という戒名が刻まれている。

歳三が亡くなったのは年号が明治となった翌年明治2年(1869年)5月、

既に江戸は東京という地名となっていた、歳三は最後の死力を尽くし

蝦夷地(北海道の箱館)にて生涯を閉じたとされるが、都市伝説では

ロシアに渡って生き延びた....という耳を塞ぎたくなる話も....

 

 右は有名な写真で、土方歳三と言えばこれなんですが

左、新撰組の羽織姿はちょっと珍しいかな...

しかしながら、日野市民の私がこう言っては何ですが

一番好きな隊士は...この方 山南敬助 堺雅人が演じたから

でもないですよ、教養豊富で思慮深いこの方なら、新撰組の

行く末少しは変わったかもですね。

 

 ちょっと横道逸れてます。

 本堂の真向かいにあるのが観音堂という堂宇

 この中に北向観音という十一面観音像が安置されている。

 そしてこちらが、福禄寿堂とでも言えばよろしいか...

日野七福神 福禄寿尊が安置されている。

 福禄寿さん

 きっと、皆さんの知ってる誰かに似てるでしょう。

私は既に3名の人間を連想しましたよ。爆  笑爆  笑

もちろん、自分の周囲にいる一般人

さあ、いい加減 本堂をお参りしないとね

 こちらが石田寺の本堂

 立派な本堂だと思いますよ、もちろん ご住職様もね

まあ、これほど詳細にこのお寺のレポートをまとめてるのは

私ぐらいでしょ さすが〇〇だな...なんて思ってる爆  笑

 本堂の扁額 「石田寺」

 というわけで、庫裡に御朱印をもらいに

 けっこう行列出来はじめてるよ。

 ご本尊 延命地蔵尊の御朱印

 日野七福神 福禄寿の御朱印

 

 ご住職様 ご丁寧な対応 でございます。

念のために、日野七福神めぐりのは色紙だけではないですから

「御朱印もお願いします」 に対し 「何の御朱印?」とボケで返される

とは思いませんでした。

思わず、吉本新喜劇の坂田利夫師匠かと思っちゃいました。