平成30年12月9日、石和温泉での1泊温泉旅行から

帰る日、朝食後 チェックアウトまでの時間にもう1軒

佛陀禅寺という禅宗のお寺をお参り致しましたので

ご紹介致します。

 

 前日にお参りした遠妙寺よりも旅館から近いんですね

旅館の前の道をまっすぐ左へ3~4分、住宅街を歩くと

 佛陀禅寺の寺門に出ます。

その先の山門がいかにも禅宗寺院的かな~

門の左が寺号の佛陀禅寺、右は妙心寺派

とあります。

 佛陀禅寺(ぶっだぜんじ)

 山号:調御山

 院号:- - - -

  寺号:佛陀禅寺

 宗派:臨済宗 妙心寺派

 ご本尊:千手観世音菩薩

 石和温泉七福神 福禄寿尊を祀る。

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メモ 佛陀禅寺の由緒

 文永6年(1269年)普化宗の開祖法燈円明国師が

亀山天皇の勅令により、朝廷の祈願所として創建。

天文年間(1540頃)に武田信玄公が恵林寺から

歓堂宗活禅師を請じて臨済宗妙心寺派に改めた。

本尊の千手観世音菩薩は行基の作とされる。

普化宗という宗派は、所謂、虚無僧という姿で

各地を托鉢し、明治時代に廃宗となった幻の宗派

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 山門まで歩きます、上段には梵鐘もありますね。

この梵鐘は二代目で最初の梵鐘は太平洋戦争時、

金属供出の憂き目にあった。

 この二代目の梵鐘は、本山、京都妙心寺の日本最古の

梵鐘における黄鐘調を化学分析、材質、形状とも全く

同様に鋳造したそうです。

(境内掲示より抜粋)

 山門の扁額 「調御山」

 山門から境内に入ると、

 そういった情報はすべてここから抜粋

 境内の左手に

子育て地蔵尊

 手水舎があります。

 常に清水が流れております。

うしろは鬼瓦ですかね、中央の菱は

妙心寺と同じ紋ですね。

 佛陀禅寺は石和七福神 福禄寿尊

を祀っています、因みに石和七福神は通年

お参り、ご朱印を受けてくれます。

 明治40年大水害の慰霊碑

明治40年の8月に山梨県下で発生した大水害

死者233名という参事で、山林の荒廃が主原因

ということですね。

 こちらが、吃安の墓ということですね。

 武居安五郎という江戸時代の

甲州、関東一の侠客、大親分だそうですよ。

吃音だったらしいので、吃安(どもりのやす)

と呼ばれていたようですね。

甲州博徒で、駿河の清水次郎長と抗争を繰り広げた

黒駒勝蔵の親分ということですね。

なんか、時代劇で見たね

 

高橋英樹の次郎長に対し、山城新伍の勝蔵

山城新伍と言えば、チョメチョメ....故人です。

チョメチョメ言ってた番組でアシスタントしてたのが

川島なお美 ああこの方も故人

時代の流れを感じますな~

 

 佛陀禅寺の本堂

 合掌 南無千手観世音菩薩~

 

 本堂の扁額...........ちょっと読み切れない

御朱印 ご朱印は庫裡玄関で

ご住職ではなく、奥さんが対応して下さいました。

このご朱印も奥さんの直書きです。

 本尊の「千手観音」

 石和七福神の「福禄寿」ですね。

 素晴らしい達筆に仕上げて下さいました。

 

 石和 佛陀禅寺 

 ご朱印 二種 ありがたく拝受致しました。