平成30年10月28日、南武線南武線 武蔵中原駅からの

お寺めぐり、長福寺から中原街道を更に右へ5分ほど

歩きますと、街道沿いに大きい日露戦争の紀念碑が

目に入ります、こちらが目指す泉澤寺です。

 この泉澤寺の日露戦役紀念碑は明治40年(1907年)に

「中原村恤兵會 建立」とあり、この地域から出兵した

人の顕彰碑という、また日露戦争は1905年に終わって

おり、戦勝紀念の意味もあるかと思われます。

恤:じゅつと読むようで、憐れむという意味

 街道沿いから少し奥に引いて

寺号標と山門がありますね。

泉澤寺(せんたくじ)

山号:宝林山

院号:運昌院

寺号:泉澤寺

宗派:浄土宗

ご本尊:阿弥陀如来像

札所:準西国稲毛三十三観音霊場 十七番札所

 

 延徳3年(1491年)に現世田谷の領主、吉良氏

により菩提所として創建、天文19年(1550年)に

当地、上小田中に移転。

 吉良氏は後北条氏の下、権勢を誇り、

ここ上小田中を更なる勢力拡大の中心とし

泉澤寺の堀から上小田中中心部までを

特区化して寺門前として、年貢等で優遇

人口増大を計った、これにより寺門前に

市が立つなど賑わった。この門前市の賑わい

は世田谷にまで及び、現在の世田谷ボロ市

の起源ということです。

(川崎市教育委員会 文化財さんぽ、

および、武蔵小杉ブログより引用)

 川崎市教育委員会による

境内掲示ですね。

泉澤寺の門前市は現在ではお施餓鬼会など

の時に賑わいを見せているそうです。

 まさに古刹に相応しいどっしりと構えた

泉澤寺の山門です。

 山門の手前左に、五体の地蔵菩薩像があります。

 山門から境内に入りました。

まず手水舎で清めます。

 清冽な水です、下から湧き出る形式

ですね。

 鐘楼堂は本堂から見て左手にありますが

たいへん立派な鐘楼ですが、吉良氏はこの

上小田中に移転させたこの泉澤寺を一種の

要塞としており、堀もそうですが、この鐘楼も

見張り台を兼ねていたそうです。

(泉澤寺の拝観パンフレットより)

 梵鐘ですね。

 境内の左側にあるのが観音堂です。

合掌 南無観世音菩薩~

準西国稲毛三十三観音霊場の札所

ですね。札所本尊 観世音菩薩

 そして正面 泉澤寺の本堂でございます。

合掌 南無阿弥陀仏~

本尊の銅造阿弥陀如来立像は川崎市指定文化財

ですが、

 この本堂自体も川崎市指定文化財

でございます。

 本堂の扁額「泉澤寺」

 

 そして本堂前には樹齢400年を数える

カヤの大木がございます。

 最後に本堂と棟続きの庫裡にて御朱印

ご朱印をお願いします。

 玄関でぴんぽん すぐに奥様でしょう

中に招じ入れて下さった。

泉澤寺のご朱印はスタンプ式とのことです。

全然問題ないですね、むしろご住職不在

でもいただけることが確定しましたね。ニヤリ

 

ありがたく拝受致しました。