平成30年9月22日 土曜日、既に秋の彼岸時期で

お寺、特に観光的でない檀家寺は一番の忙しさで

ご朱印対応もなかなか、難しいと思われ、ある程度

大きい有名寺院を回ることとして、まず赤穂義士の

お墓のある、泉岳寺を久しぶりに訪問しました。

 

 泉岳寺に電車を使って行く場合、都営5000形 新塗装都営浅草線

泉岳寺駅から歩けば2分というところですね。

泉岳寺(せんがくじ)

山号:萬松山

院号:- - - -

寺号:泉岳寺

宗派:曹洞宗

ご本尊:釈迦如来

寺格:触頭

曹洞宗江戸三ヶ寺のひとつ

あと二ヶ所は、同じ港区に青松寺、

板橋に総泉寺ということで、いずれも

ご朱印対応なしが確認されております。

 

 慶長17年(1612年)に門庵宗関和尚(今川義元の孫)を

拝請して徳川家康が外桜田に創立した寺院。
しかしながら寛永18年(1641年)の大火によって焼失。

その後、現在の高輪の地に移転し、将軍家光が高輪泉岳寺の

復興がままならない様子を見て、

毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の五大名に命じ、

高輪に移転して再建された。

(境内掲示より抜粋)

 

 

 泉岳寺の実は山門ではなく、中門なんですね。

泉岳寺には総門、中門、山門と三つの門があったそうで

今は中門と山門が残存しているということです。

 天保7年に再建された門で、港区登録有形文化財

となっている。

よく空襲で焼けなかったですよね。

 この中門の扁額が萬松山

 中門を入り正面が山門ですね。

 この山門も港区登録有形文化財でございます。

天保3年(1832年)に再建されたもの、見えませんが

二階には十六羅漢が安置されているそうです。

 山門の扁額「泉岳寺」

 この中門と山門の間、山門前に建つのが

 赤穂義士、大石内蔵助良雄の像

元禄羽織を身に連番状を手にして東の空(江戸方向)を

じっと睨む姿という...........

赤穂義士の場合、もっと強固な血判状であったけどね。

 山門を境内側から見ています。松の枝ぶりが

見事ですね。

 正面に本堂です。

 合掌 南無釈迦牟尼仏~

 太平洋戦争で焼失した本堂を昭和28年(1953年)に再建

した建物で本尊の釈迦如来、宗祖道元禅師、大石内蔵助

の守り本尊、摩利支天などが安置される。

扁額の獅子吼(ししく)、お釈迦様の説法を意味する。

(境内掲示より抜粋)

 泉岳寺の由来が書かれた掲示

金髪の外国人観光客も、何か感じますかはてなニヤリ

デニム最近の女性はスキニージーンズが多い。

私なんか高校生のころよく穿いたけどね。

流行って繰り返すんですね~

 本堂の左に澤木興道老師像 とありますね。

どちら様でしょうか....なんて言ったら怒られます

坐禅で生涯の貫いた20世紀に最も活躍した禅僧

と書いてあります。 澤木さん 坐禅を貫いたんだって。

 前回、私がこの泉岳寺のお参りレポートにも

書いたんですが、鐘楼と梵鐘、泉岳寺の場合

墓地区域は檀信徒以外は一切立ち入れない。

中の鐘楼も、この角度からしか撮れないんです。

 梵鐘です、やや手前の桜の枝にフォーカスが

合ってしまった。

 一本の何の変哲もない梅の古木なんですが...

 大石内蔵助の息子、主税が切腹した大名屋敷に

植えられていた梅........主税の切腹をこの梅の古木は

敢然と目撃したということね。

 さあ、次はいよいよ 赤穂義士の墓地区域を

見たいと思いますね................

それはね、後半に爆  笑.....う~ん 伸びしろ十分ですね。