平成30年2月11日、京都東山にある精霊迎えと
六道まいりで有名な、六道珍皇寺をお参りして
おりますので、ご紹介させていただきます。
2月11日は日曜日、この7月こそ、連日39℃越え
という京都でございます、祇園祭、五山の送り火
と、真夏の京都、全国的に有名な催しがまだまだ
たくさんありますね。
私が京都を訪ねたのが2月でございました。
京都タワーですね、宿泊したホテルの
部屋から正面に見えるのは
六道珍皇寺へは京都駅から市バスの
206番、東山通、北大路バスターミナル行
で清水道で下車....です、実際そうしました。
六道珍皇寺の山門は朱塗りです。
六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)
山号:大椿山
院号:- - - -
寺号:六道珍皇寺
宗派:臨済宗建仁寺派
ご本尊:薬師如来坐像(国の重文)
六道珍皇寺は延暦年間(782~805年)の平安時代に
創建され、開基は弘法大師の師、慶俊僧都で、愛宕寺
と称した、その後中世の兵乱で荒廃したが、貞治3年
(1364年)に建仁寺の住持 聞渓良聡により再興、
臨済宗に改宗し現在に至る。
この六道珍皇寺と言えば、精霊迎え、
六道まいりが有名でございます。
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六道まいりについて
五山の送り火前の風物詩でしょうか。
京都では、8月7日から10日までの4日間、各家で精霊を
迎えるために、ここ六道珍皇寺にお参りする風習があり、
これを六道まいりと呼んでいる。
この地が葬地(鳥辺野)の端にあたり、現世と冥界の境界
とされ、精霊は必ず、ここを通り家に戻ると考えられ、この
お参り時に撞く鐘を迎え鐘といい、精霊を冥界から呼び戻す
鐘と言われます。
六道珍皇寺の参道に多くの、お花屋さんが臨時の露店を
出すので、ここで高野槙を買うんですね。
これが高野槙
次に、本堂でお坊さんに水塔婆にご先祖の戒名を
書いてもらいますね、間違っても、ここでご朱印を
お願いしないようにね。
水塔婆とは
(高野槙と水塔婆の写真はネットより拝借しました)
次に迎え鐘を打ちます、これでご先祖を
冥界から呼ぶんです。
ここが迎え鐘-後で拡大写真で説明します。
最後に地蔵堂の前で高野槙の葉で水塔婆に水を
かけ供養する。
ご先祖の精霊はこの高野槙の葉に乗って
懐かしき我が家に暫しの里帰りとなる。
(出典:六道珍皇寺公式サイト、京都観光文化
検定試験テキストより引用)
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この珍皇寺の六道まいりは、だいたいNHKなどの
ニュース映像で見ることができるでしょう。
五山の送り火となると、関西局では最初から
実況中継しますよね、私この時期に甲子園に
高校野球見物に行ってて、大阪のホテルで
これ最後まで見たことありますよ。
山門前に六道の辻と刻まれた石碑
ここで、六道について説明したいんですが
かなりしつこい感じなんで、明日の記事で...
この場所が現世と冥界に境であることを謡った
謡曲の碑
山門から境内へ、...ちょっと他のお寺とは
空気感が違います。
本堂前に三界萬霊十方三聖の刻んだ
石塔があります。
ご本尊で国の重文、薬師如来を安置する
薬師堂です。 写真ですので遠くから.....
お参りの女性、なかなか動かないんだな~
これが..........
こちらが鐘楼堂、とは言っても外から梵鐘は
見えません。こちらは平安の名鐘と言われるものです。
火灯窓の下に白い丸いものが見えますが
これが鐘を撞くための綱なんですね、
これを思いっきり引っぱって、鐘を撞くんです。
そのとなりが、閻魔堂ですね。左に閻魔像
右が小野篁像でございますが、これも基本
撮影 ですからこの距離からです。
閻魔像は、今までどのお寺で見た閻魔様より
怖い、戦慄をおぼえる像でございます。
機会があれば、ぜひ
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小野篁(おのの たかむら)
平安時代前期の貴族で文人、官僚で文武両道に
極めて優れた人物であったが、「野狂」ともいわれ
奇行が多く、遣唐副使にも任じられたが、
大使の藤原常嗣と争い、嵯峨上皇の怒りにふれて
隠岐に流罪されたこともある。
この小野篁が実は、冥界、閻魔大王の秘書的
存在であり、昼は朝廷、夜は寺の井戸から
冥界に通っていたという、奇怪極まりない話がある。
(広辞苑および珍皇寺公式サイトより抜粋)
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本堂への入口、小野篁の旧跡と
はっきり記載がある。
この独特な雰囲気を持つ六道珍皇寺
ご朱印の種類も多く、特別ご朱印も
魅力的ですが、写真の関係で後半に
続けさせていただきます。