平成30年4月29日、京都ご朱印めぐりも最終日
明日は朝早い新幹線で東京に戻る、今日一日と
なると、若干の寂しさと焦りが交差する。
そんな時はあえて、ゆっくり、じっくり拝観といきたいね。
まずは、タクシーで四条大宮駅まで....前回2月と同じ。
嵐電はどうしても観光的電車と思いがちですが
地元の方々には、日常的な通勤、通学の足なんですね。
今回は紫の車体、いかにも京都らしい車両で
嵐山までやって来ました。
むらさき匂う雲の彼方、希望の星の
燃ゆる処.....ってどこの校歌だったかな~
まだ午前中9:30ごろなのに、もう中華圏の観光客が
ニーハオマ、ぞろぞろ~ ああ うんざりだね。
ここまで来たらまず、渡月橋
新緑の嵐山をバックに.....もう少し後ろの位置から
撮りたかったんですが、修学旅行生が
大勢いてね~(苦笑い)
新緑の嵐山、桂川の清流が春のそよ風を運んで来るようです。
反対側からも小さい五重塔が山の中腹に
見えますか~?あれ法輪寺という寺ですね。
いい御朱印いただけるようですが、さすがに
石段きつそうで....今回もスルー
嵐山の商店街、観光道をまっすぐ、天龍寺の境内へ
しかし、今回は天龍寺には立ち寄らず、
特別拝観の塔頭を2軒、拝観するつもりで
来ましたえ~
まずは 弘源寺さんでございます。
弘源寺(こうげんじ)
所在地:京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町65番地
大本山 天龍寺の塔頭寺院
山号:
院号:
寺号:弘源寺
宗派:臨済宗 天龍寺派
ご本尊:聖観世音菩薩
永享元年(1429年)に細川持之が夢窓国師の孫弟子
玉岫禅師を開山に迎え、創建した。
山門の横に拝観受付けがございます。
この日の拝観客第一号となりましたね。
参道から書院へ続く途中に
毘沙門天を祀る毘沙門堂がございます。
毘沙門天は所謂、四天王の多聞天のことです
従って、扁額も多聞天となっております。
南無毘沙門天様
その前に文殊菩薩像があります。
書院の玄関先、藤の鉢がちょうど満開
いい型ですよね。
この書院玄関脇にご朱印の受付けがございます。
ここでお願いして、拝観後に受け取る方式です。
こちらが弘源寺の代表的名園
虎嘯の庭でございます。 見事に嵐山を借景に
完全に取り入れているのは弘源寺だけということです。
窓ガラス越しの撮影なんですが、まあまあかな
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虎嘯の庭(こしょうのにわ)公式サイトによれば
虎嘯(こしょう)とは、「龍吟雲起、虎嘯風生」
(龍吟じて雲起こり、虎嘯きて風生ず)と言う語句から
名付けられ、これは『碧巌録九十九則』によるもので、
「龍吟」は枯れ枝の間を抜ける風の音を表し、
「虎嘯」は大地より涌出る朗々たる響きを表す、
すなわち禅の悟りの境涯を表しています。
嵐山を借景にした枯山水庭園が、春の桜、
秋の紅葉と調和する景色は嵐山屈指です。
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こちらは、奥の庭、枯山水とは違う趣きある
作庭でございますね。
また、書院の柱のあちこちに残る刀傷は
蛤御門の変(1864年8月20日)の際に、長州藩士が逗留した際の
試し切りなどの傷跡ということです。
公式サイト参照http://kogenji.jp/about/index.html#history
あまり大きいお寺ではありませんが、
その庭の美しさ、長州藩士の刀傷、毘沙門天像
なかなか見どころいっぱいで、満足いたしました。
更に
弘源寺にはオリジナルご朱印帳がありますよ。
この特別拝観でないと入手できないレアもの
ご朱印は、「毘沙門天」と書いてもらえます。
豪快な筆致でございますが、書いて下さったのは
女性でございます、歳の頃は30歳ちょっと越え
壇蜜似の理知的印象はこの筆致との
アンバランスによって、なお一層ミステリアス
はっきり言えば好きなタイプ。