京都奥嵯峨の二尊院拝観レポートは二回目ですね、

前半、後半の二回でまとまるかと思いましたが、せっかく

の名刹です、写真も多いので、三回シリーズに致します。

 

 阪東妻三郎氏の墓所を見学した後、再び築地塀の前

を通過して本来の正門、勅使門から境内へ入場致します。

 勅使門です、今は多くの拝観客が自由に通過してますが

勅使(天皇の意思伝達の為の特使)のみが通ることのできた

門ですね。

 今でも、勅使門を開放していないお寺も多いんじゃ

ないでしょうか、例えば曼殊院門跡、青蓮院門跡......

ここから境内、本堂へ向かいます。

 勅使門を額縁的に使って本堂をカメラ

本堂の拝観の前に、境内を見て回ります。

 鐘楼でございます。慶長年間(1596~1615年)

の創建といいますから、室町時代のものですね。

 梵鐘は平成4年(1992年),嵯峨天皇千二百年御遠忌

法要記念に再鋳造されたものだそうです。 

しあわせの鐘と名付けられ、誰でも撞くことができます。

「自分が今生きている、いや生かされていること

への感謝」をこめて...ゴ~ン.

 

 この鐘楼と本堂の間にかなりの段数の石段があります。

かなり膝に負担がかかりますが、上がってみます。

 正面のお堂は湛空廟

二尊院で教えを広めた湛空上人の碑を納めた堂で

建長5年(1253年)に彫られた碑ということです。

京都市指定有形文化財でございます。

 石段を下りて、更に境内を散策してみます。

銅像があります、角倉了以の銅像ですね。

この方については一回目の記事に書いてます。

 その更に先に、小倉餡発祥之地の石碑

裏は

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メモ 小倉餡 

小倉餡発祥に詳細が刻まれております。

要約するなら、日本で初めて餡が作られたのがここ

小倉山の麓、小倉の里であったそれが、西暦820年

平安京の初期であります、ここに和三郎なる

菓子職人がいてどら焼き、亀の子せんべいを作っていたが

809年に弘法大師 空海が中国から小豆の種子をさくらあんまん

持ち帰り、和三郎がそれを栽培し御所からもらった

砂糖といっしょに炊いて餡(小倉餡)を作り御所に

献上していた。豆大福

 今日の和菓子、京菓子発展の源流なんですよ。

名古屋のモーニング文化、餡を塗ったトーストも

和三郎がいたからこそ連綿と受け継がれた

食文化なわけですよ。くるみゆべし

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 室町時代の公家、三条西実隆の歌碑

「露の間に千世をふるとも菊の上に

秋の日かけやみしかからまし」.....?orange

 こちらが弁天堂ですね。

総門の左にも九頭竜弁財天とありましたが

ここですね。

 九頭龍弁財天とあります。

 屋根の頂点には青銅の鳳凰が羽ばたきます。

 二尊院の境内も見どころいっぱいですね。

 まだまだ写真豊富です、三回目に続きます。