5月28日(土) 朝から曇りがちでしたが、雨の心配はまったくなく、真夏日でもなく、

比較的過ごし易い一日でした。

そこで、少し遠くに行くことにして、横浜と川崎を考え、まず横浜にある、曹洞宗の大本山

總持寺に行って見ました。

 

 JR横浜線に乗車、東神奈川駅にて京浜東北線に乗り換え、2駅目 鶴見という駅で下車

 ここいつも、踊り子号や新幹線で通過する駅ですね、初めて降りてみました。

駅ビルが西友になってました、ちょっと不慣れなせいか、外に出るのに分かりにくい駅

です。

ここから横浜駅方面に歩いて5分程度で總持寺です。

途中の目印は

  

 鶴見大学という大学ですが、ここ總持寺が運営する大学で、付属中、高もいっしょの

キャンパスみたいです。歯科医師養成学部がありますね。

私のかかりつけ歯科医もここの出身ですね。

 大きい目印が出てきました。

 大本山 總持寺、今まで見たすべてのお寺で、一番大きい入口かな~

總持寺

山号:諸嶽山

院号:------

寺号:總持寺

宗派:曹洞宗

寺格:大本山

由緒:曹洞宗の大本山です。元亨元年(1321)瑩山禅師が能登半島の櫛比庄(現在の石川県鳳至郡)にある諸嶽観音堂に入山し、諸嶽山総持寺と改号、元亨2年(1322)後醍醐天皇より紫衣を拝領、曹洞宗の大本山となったといいます。明治31年(1898)火災により焼失、当地にあった成願寺の寺地を譲り受け、明治40年移転した。(ウィキペディアより抜粋)

 

 曹洞宗には総本山と呼ばれる母体寺がないそうで、ここと永平寺が二大大本山となって

最高峰に位置する寺ということです。

石原裕次郎の菩提寺でもある。

 

 そうとうに大きい寺で、参道も長々と続きます。

 やっと門が見えてきました。

 總持寺の総門である三松関です。
「三樹松関(さんじゅしょうかん)」と書かれた扁額(へんがく)です。總持寺中興(ちゅうこう)の祖といわれる石川素童(そどう)禅師(1841~1924)が揮毫(きごう)されたもので、總持寺の祖院がある能登には、みごとな龍の形をした三本の松樹があったことに由来しています。
この総門は、禅宗寺院の第一門としては珍しく、特異な高麗門(こうらいもん)の様式で建てられています。(總持寺公式サイトの解説抜粋)

 さらに進むと、境内案内図が.....

 そして三門です。


三門には、左右に金剛力士(仁王)像をおくのが通例とされており、總持寺の場合も同様で、左右に元横綱・北の湖関15歳の姿をモデルにしたと伝えられている阿吽の仁王像が納められています。(公式サイト解説より)

ちょっと、金網越しの撮影で、わかりにくいんですが....


三門正面の扁額「諸嶽山」は独住19世・岩本勝俊禅師が書かれたものです。

 

 三門を抜けると、雄大な伽藍が拝観客をその静謐の中に飲み込まんとどっしりと

構えている。

 まず、私の目に意外と飛び込んだのが

 桜木観世音菩薩でした。

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 国鉄桜木町駅事故

 これは、戦後の国鉄5大事故の一つと言われ、1951年4月24日 13時45分ごろに

桜木町駅で発生した列車火災事故で100名を超える死傷者を出したもので、原因は

架線、パンタグラフのショートで、列車の可燃性塗料にショートした火花が燃え移った

とされる、この事故を契機として、車内非常ドアコックの設置が義務付けられた。

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 その犠牲者の供養搭がここ總持寺にあったんですね。いただきます

 

 すみません-その2に続けます。