今年も、今日で終わりですね。仕事でもプライベートでも、いろいろなことがあった1年でした。
何よりも大きなニュースは、父が8月に突然亡くなったことでした。体が弱くなってはいましたが、まだまだという感じでしたが、肺炎で突然逝ってしまいました。77才でした。僕はというと、作曲家という仕事では仕方がありませんが、父が入院して危ない状態の時はレコーディングスタジオでオーケストラの録音中で、全く動けない状態で、そのまま会えませんでした。でも父も、こんな風に音楽を制作するという仕事で動けない事は、きっと許してくれたのではないかと思います。父が亡くなった電話の知らせの時も、自分のスタジオに戻って新しい曲を作曲している最中でした。夜中の3時頃だったと思いますが、締め切り直前で、そのまま作曲を続けました。葬儀では、その時に作っていた曲(これが、偶然にもすごく悲しい場面の曲でした。)とエスコルタの「愛の流星群」を流しました。
銀行員だった父の葬儀に元宝塚の春野寿美礼さん、千住明さん、服部克久さんなどをはじめ、多くの芸能、放送局、音楽関係の方々からお花をいただいたのは、会場が多くの花に包まれて、来ていただいた方々の気持ちが悲しみよりも暖かい雰囲気になった気がしてよかったと思います。皆様、本当にありがとうございました。
仕事では、春野さん、エスコルタ、テレビ番組の音楽制作など、いろいろと楽しい仕事をさせていただきました。 テレビ番組では、国内や海外からもいろいろな賞、アワードを頂き、嬉しい1年でした。エスコルタから山崎育三郎がいなくなってしまったのはとても残念なニュースでしたけど、きっと彼もさらに大きな世界で活躍をしていくことだと思います。
明日から2009年です。また新たな気持ちで、多くの人達とのつながりを大切にしていきながら、一歩一歩がんばっていこうと思います。
五木田岳彦
何よりも大きなニュースは、父が8月に突然亡くなったことでした。体が弱くなってはいましたが、まだまだという感じでしたが、肺炎で突然逝ってしまいました。77才でした。僕はというと、作曲家という仕事では仕方がありませんが、父が入院して危ない状態の時はレコーディングスタジオでオーケストラの録音中で、全く動けない状態で、そのまま会えませんでした。でも父も、こんな風に音楽を制作するという仕事で動けない事は、きっと許してくれたのではないかと思います。父が亡くなった電話の知らせの時も、自分のスタジオに戻って新しい曲を作曲している最中でした。夜中の3時頃だったと思いますが、締め切り直前で、そのまま作曲を続けました。葬儀では、その時に作っていた曲(これが、偶然にもすごく悲しい場面の曲でした。)とエスコルタの「愛の流星群」を流しました。
銀行員だった父の葬儀に元宝塚の春野寿美礼さん、千住明さん、服部克久さんなどをはじめ、多くの芸能、放送局、音楽関係の方々からお花をいただいたのは、会場が多くの花に包まれて、来ていただいた方々の気持ちが悲しみよりも暖かい雰囲気になった気がしてよかったと思います。皆様、本当にありがとうございました。
仕事では、春野さん、エスコルタ、テレビ番組の音楽制作など、いろいろと楽しい仕事をさせていただきました。 テレビ番組では、国内や海外からもいろいろな賞、アワードを頂き、嬉しい1年でした。エスコルタから山崎育三郎がいなくなってしまったのはとても残念なニュースでしたけど、きっと彼もさらに大きな世界で活躍をしていくことだと思います。
明日から2009年です。また新たな気持ちで、多くの人達とのつながりを大切にしていきながら、一歩一歩がんばっていこうと思います。
五木田岳彦