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COMPASS TEA LIFE & STYLE 代表 上野理絵です。
バガヴァッド・ギーターの中に3種類の喜びについての説明があります。
我々はどうして喜びを欲しがるのでしょうか。
子供も、若い人も、お年寄りも、日本人も、インド人も、貧乏人も、お金持ちも、女性男性、お坊さん、求道者、皆同じように欲しがります。動物も欲しがります。
どうして喜びが欲しいのかというと、それ(喜び)が人間の本性だからです。
喜びにもいろいろな種類があります。
肉体的な喜び、
感覚的な喜び、
心的な喜び、
知性的な喜び、
道徳的な喜び。
一番最後には、霊的な喜びがあります。
皆さん「喜び」と一言で言いますが、このようにたくさんの種類があります。
「肉体的な喜び」は、食べ物、飲み物、マッサージなどです。
「感覚的な喜び」としては、良い景色を見たい、いい音楽を聴きたい、いい香りをかぎたい、などがあります。
「心の喜び」は、例えば大好きな人に挨拶する時、他の人に褒められた時などです。
「知性的な喜び」とは、面白い本を読んだ時、数学の問題を解けた時、いい俳句を作れた時などです。
「道徳的な喜び」は何でしょうか。例えば横浜の寿町に行って、自分とは関係ないホームレスの方達のためにいろいろお世話をすれば、もちろん喜びが得られますが、これが道徳的な喜びです。
知性でもなく、心でもない、これはとても大切な道徳的な喜びです。
この種類の喜びは、皆さんあまり知らないです。なぜなら非利己的にならないと、道徳的な喜びは得られないからです。これが大事なポイントです。道徳的な喜びは他の喜びとは喜びの質が違います。
親切にはいろいろあります。旦那さんが奥さんに親切にするというのではなく、関係ない人に対する親切のこと、親戚ではない人のためにいろいろやってあげることです。また、皆さんの稼いだお金の中から少しの援助をすると、この道徳的な喜びが得られます。少しの寄付でもかまいませんし、神様も喜びます。これが道徳的な喜びです。
ラーマクリシュナによれば、3種類の喜びがあります。
①世俗的で、肉体的、感覚的、心的、知性的、な喜びです。例えば食べ物、飲み物、映画を見る、景色を見る、などです。大体90%の皆さんはこのタイプの喜びを欲しがっています。
②次は、神様を瞑想する霊的な実践です。その霊的な実践の中で、神様の名前を唱える、神様の本を読む、神様を礼拝する、神様の歌を歌う、神様を瞑想する、これらの実践によって得られる喜び全てです。求道者はこれを求めます。
③最後の喜びは、「絶対の至福」の喜び、「悟り」の喜びです。「神様を理解して、神様を悟る」、その種類の喜びを「至福」と言います。ラーマクリシュナの作ったとてもいい分類ですね。
しかし、どんな喜びが欲しいかは、人によりまちまちです。
普通の人はいつも世俗的な楽しみを欲しがります。良い食べ物、よい飲み物、よい服、よい家。
もう一つはそれも欲しいですけれど、神様の喜びも欲しい、これが求道者の状態です。求道者の状態は、世俗的な楽しみも欲しいけれど、神様の喜びも欲しい、少しレベルの高い喜びですね。
きわめて少数の人は、悟りが欲しいと考えますが、求道者の中でも、そこまでいく人は少ないです。喜びの種類もいろいろありますから、それを欲しい人も様々です。
さて皆さんは喜びを求めますが、最後の結果はなんでしょうか。最後の状態はどんな状態でしょうか。このことについても考えなければなりません。例えば、ずっと喜びが欲しいけれど、実際には悲しみもあります。喜びが欲しくても、喜びをずっと維持できないですし、我々はそれを知っています。皆さん喜びが欲しいですけれど、本当にそれを得るのは難しいです。100%の喜びを得るのは本当に難しいのですが、どうしてできないのでしょうか。
ギーターにはどの種類の喜びを求めると、どのような結果が出るかの説明があります。どの種類の喜びを求めたときに苦しみや悲しみがもたらされるのか、どの種類の喜びを求めた場合には苦しみではなく楽しみや至福が得られるかが書かれています。バガヴァッド・ギーターでは、喜びを3つの種類に分けていて、それはサットワ的、ラジャス的、タマス的です。18章36、37節を読んでください。
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という感じです。
誰でも、ネットで、講義内容を見ることができます。
https://www.vedantajp.com/テキストギャラリー/インド大使館-バガヴァッド-ギータ/
http://www.tao-compass.com