僕らの高校時代は携帯なんてなかったから、恋愛するのにはとても不自由な時代でした。
でも、いろんな障害があったからこそ、恋はかがやきを増し、想いは深まったのかもしれない。
メールやミクシイ、便利な時代になった現在、僕はそう思います。

彼女に告白したのは、出会って1ヵ月ほどたった夏の初め、期末試験をすぐにひかえたころのことだった。
あの日から僕らは、約束するともなく同じ時間に待ち合わせ、登校途中のわずか5分ほどの時間を共有した。

彼女は僕の1つ年下、中高一貫の女子高の1年生、すらりと伸びた長身と色白のほわっとした雰囲気がとてもチャーミングな娘だ。
銀行員の父、元中学教師の母、2つ下の弟というごく一般的な家庭に育ち、おおよそ人を疑うことを知らない素直な性格だった。所属する高校のマーチングバンドではクラリネットを吹く音楽少女でもある。

知り合ってから日毎に、僕は彼女に魅かれていった。
しかし、彼女のことを好きになるごとに、不安もつきまとう。

僕には両親がいない。

そのことを彼女は気にしていないようだったが、本当にそんな僕を、普通の家庭で育った彼女が受け入れてくれるのだろうか。

僕には、それ以上に気がかりなことがある。
姉のことである。

父が亡くなってから、(実際にはその前からずっとであるが)僕は姉の自己犠牲の上に、あぐらをかいて生きてきた。
両親のいないことに対する、世間への負い目は、不思議と僕の中にはない。
それはひとえに、全ての負い目を、姉が背負ってきたからに他ならない。

そのことは痛いほどよく解っている。

小中、高校と(結果的には大学まで)僕は姉と同じ学校に通った。
学生時代の姉はよほど優秀だったのだろう、どこに行っても姉のことを知っている人がいて、僕を助けてくれた。
周りの大人はいつも僕のことを「彼女の弟」として見、そしてその大半の人は、僕に好意的だった。
僕はいつも「見えない姉」に護られていたのだ。

僕にガールフレンドが出来ても、姉はきっと祝福してくれるだろう。
今までもそうだった。これまで僕は気軽にガールフレンドを姉に紹介できたのだ。
どんな女の娘であっても、姉の不興を買ったことは、ただの一度もない。

けれど、今度は違う気がしている。
本気なのだ。
本気で彼女の事が好きなのだ。

姉はいつも忙しい。仕事に、家事に、自分の時間など、全くといっていいほどない。
一方、僕の時間は全て僕のものだ。勉強もサッカーもそして彼女のことを考える時間も全て自由だ。
姉の犠牲の上に、僕だけが幸福を享受してる。

悩んだ。それまでの人生悩まなかった分、悩んだ。
僕が手前勝手に苦しんでも、姉への負い目は消えない。そんなこと充分承知だが苦しまずにいられなかった。

その間も、僕の気持ちはどんどんと彼女に魅かれていく。


日曜の上野公園、梅雨前の曇り空、噴水の前だった。
他愛のないおしゃべりの後、少しの沈黙、そして彼女を真っ直ぐに見つめた。
彼女の表情が少しこわばる。

「俺、アキのことが好きだ。俺と付きあってほしい。」

「はい。」

僕の右手は彼女の左手を握った。彼女に直接触れたのは、意外にもこれがはじめてだった。
彼女の手に触れて不意に醒めた。姉の顔が脳裏をよぎる。

つないだ手を彼女は離そうとはしなかったが、僕は握り返すことができないままにいた。
横にいる彼女を見つめる。熱っぽい視線が返ってきた。
何も知らない彼女は、とても幸せそうに見える。

僕の心の中は、えもいわれぬ罪悪感でみたされていた。