次の日の朝はやけに早く目覚めた。
僕は朝は苦手なのだが、まだ薄暗いうちから目が覚めてしまって、じっとしていられない。

いつもは姉が起きて朝の準備を始めるのもまったく気がつかないでいる。
しかしその朝は、隣の姉の部屋で目覚まし時計が鳴り、しばらくして姉が一階に下りていく気配が感じられ、それにつられるように僕も起き上った。まだ5時半だった。

いつもは着ないjunのシャツなど着て、いそいそと支度する。早起きしたのにあっという間に7時になる。

ドキドキしていた。彼女に会ったらどうするかは、昨日から何度もシミュレーションしている。
僕はありったけの妄想を乗せて、自転車を走らせた。

昨日、彼女がうずくまっていた場所は・・当然のことながら誰もいない。
ひたすら彼女を探して前方を凝視する。
そして、あっという間に学校に着いた。
落胆と安堵が入り混じった複雑な感情。むやみにのぼせ上がった自分が腹立たしい。

次の日、また次の日、そのまた次の日。
駆け足で一週間が終わった。何もない。何もないのに、ただ徒労感だけが残る。
週末がやけに長い。

日曜日、横浜の叔母が訪ねてきて、思いがけなく小遣いを貰う。
なんだかついている、来週こそよい予感。


そして月曜の朝、気を取り直して家を出る。
いつも彼女を追い越す場所。

見つけた。前方に彼女の姿を確認する。
近づくにつれ、バクバクと心臓が高鳴るのが分る。

しかし、しかしだ。
なぜか友達らしき娘と一緒にいるではないか、今まで友達と連れだっていたことなんて一度もなかったのに。

一瞬思考回路が乱れ、落ち着こうと一旦自転車を降りる。

ここは芝居だ。

"人生は芝居のごとし。とかく人生あまり重く見ず、捨て身になって何事も一心に成すべし"
福沢諭吉の名言をやみくもにこころに念じた。
強引に自分を取り戻す。

「おはよう!」

僕は後ろから声を掛けて、自転車を下りた。

振り返る彼女。

一呼吸おいて
「おはようございます。先日はありがとうございました。」
予想外にいい反応。彼女の、はにかんだような笑顔が返ってきた。
とてもまぶしい、とびっきりの笑顔だ。

瞬間、勝った。と思った。
冴えていたのか、妄想を重ねたシミュレーションが的確だったのか。

自分の中では一瞬にして勝手なストーリーが成立する。
・・・どうやら僕の登校を待っていたようなタイミング、振り返った時のはにかんだ表情、カモフラージュぽく友達を連れていたこと、先週登校時に出会わなかったこと、etc・・・
僕の妄想の世界では、複数の点と点とがつながって線になった気がした。

そして、彼女も何かを期待していたに違いない、というトンデモナイ、しかし確信めいた思い込みが生じる。
なんの根拠もない自信がわいて、その自信はやがて余裕に変わった。

「あれから、大丈夫だった?」

「はい。本当にありがとうございました。」

「よかった。…朝いつも同じ時間だよね。」

「はい。部活の朝練で・・・」

「今日は友達と一緒?」

「・・・中学時代からの友達なんです。」

友達の娘は気を利かせたのだろう、買物があるからと言ってコンビニに入って行った。

白山通りを千石一丁目の交差点まで、話をしながら歩いた。
彼女のぎこちない受け答えが、とても新鮮だった。

「じゃあまた明日。」
交差点でわかれたが、彼女の瞳がとてもキラキラして見えて、ときめいた。

この頃の僕には、純粋ともいえる心が、まだ少しだけ残されていたのだと思う。