雨がふると 舌打ちをするようになったのは
自転車通学を始めた頃からかもしれません。
それまでは雨がふると傘がさせる、とテンションをあげる子どもでした。
傘をさせば一人になれる、それが嬉しかったのです。
ねこと一緒で、人に構われるのが苦手で、それでも人が近くにいると安心する。
別に人嫌いでも厭世家なわけでもないんですが、
みんなで同じテーマについて話したり、自分が損しないようにリアクションしたり、
そういうことからは積極的に逃げたかったです。
よく分かりませんが、ものすごく秘密がいっぱいあったんですよ、私。
感受性が強かったから、感じること全てが秘密でした。
だから それらがヘソとか耳から漏れませんように!って思って手で穴を塞いで歩き、
つっこまれると、「いや、耳かゆいねん」 「へそ痛いねん」と誤魔化していた記憶が。
子どもの発想って 訳分からんというか面白いですよね。ははは。
雨の日の小学生男児を見てくださいよ、傘ふりまわして関係ない周りの人にも水をかけまくり、
男児同士尻に傘の先端を突き出して、「カンチョー!」って。
あほですわ。
全員抱きしめて「おるら、水かけやがって、キスすんぞお」と追いかけたろか思いますw。
で、また別の雨の日 今度は女の子に会いました。
傘のなかでハーモニカの練習してて、それがなかなか上手くいかないみたいでした。
ふらふらよたよた歩くその姿に きゅんとくる私。
やさしいハーモニカの音色。
追い越し際、自転車だったので 「ごめんね、通してねぇ」と声をかけると
なんと女児は 泣いているではないの。
「大丈夫?」と聞くと、彼女は恥ずかしそうに、くやしそうに頷いて走っていきました。
ああ、張り詰めてたんだなあ、と気付いて 悪いことをしたなあと思いました。
私も もしかしたら、傘のなかで泣く子どもだったのかもしれません。
どんなに小さな傘でも、泣く子どもをいつもちゃんと守ってくれます。
いいよ、いいよ、大丈夫、明日はきっと晴れだから。
私が傘を好んだ理由は、傘のやさしい声に励まされて育ったからかもしれません。
