日常が平凡すぎて、ネタが早速ないけれど、何か書きたくて。
私はlookismでもないし、自分の姿が美しい、人から羨望の眼差しで見られるとかでもないけれど、美しいものが好き。もちろん自分の好みの範疇での話だけれど。前回の投稿でもちらっと書いたことだが、私は「一度会った人、自分が関わる人はみんな友達」という主義である。これは幼少期にNHKの朝ドラ『ちゅらさん』が大好きだったせいもあるかもしれない。私は顔が濃い(らしい。ま、自覚は多少ある。)、周りの人間とは違う趣向のファッション?スタイル?というのもあるのか、どこに行っても何か人とはちがう雰囲気らしいし、初対面ではあまり人に好かれることがない。どころか、怖いと思われる。見た目だけでなく、見た目に反して、なのか、中身が真面目、話し方がきちんとしていることもあって初対面から近づく人間はあまりいない。それを自覚しているから、初対面では話し方やコメントに気を使い(すごく頑張って取り繕っている系ではないけれど)、「みんな友達」になるように心がける。それは自己防衛。自己防衛の末、思いもよらぬ人間を引き寄せることも多い。普通ならば弾かれるような人間に対しても平等に対等に関わるため、好意をもたれる。引っ越す度に、新しいコミュニティに行く度に、時には警察沙汰レベルの変態に目をつけられるし。気を遣って努力している割に全然割に合わないなこの野郎。
高校時代、誰とでも仲良く話すけど、どのグループにも属さない私は、ある子に気に入られて、側から見るとその子と私が仲良し二人組みたいに見られるような状況になっていた。私が人を嫌いになることはそうそう無い。人を嫌いになるというのは、その人のことをきちんと理解してからでないと、嫌いになる権利がないと考えているからである。自分の知らないこと、自分とは違う世界というものにとても心を奪われ、好奇心と探究心の強い性格ではあるから。が、全て自分の興味のむく範疇内の話であって、基本的に「他人は他人」主義の私にとって、その子が私につきまとおうが何しようが特に自分から求めるような対象では無かったし拒むようなことでも無かった。だから周りの人間から、その子と私が仲良しと思われようがそこにプライドなど無かった。毎日、その子の顔を見て、その子が好きなアニメや、なんか知らんけど、その子に関する何かしらのことについてシャワーを浴びせられていた。みんな同じ制服を着て、私は校則を守るタイプだからその範囲の中で普通に生活していた気ではいたが、前述の通り、何か人とは違うらしく、私はおしゃれとかセンスがあるとか、多分単純な意味でなくかっこいいとか言われることが多い、というか、何か、ストレートに羨望は受けないが、私に気に入られると一目置かれるとか、目立ってかっこいいわけではないけど、ある種アングラに憧れるお年頃、とにかく、私に気に入られようという「勇者」が少なからず存在していて、その子もそのタイプだった。私自身はそんな気さらさら無いし、真面目にルールを守っているし目立とうという気もないし、そういう一歩引いて私はみんなと違います、とか斜に構えて逆に目立とうとする子供っぽいタイプには自分はなりたくないと思っているのに。でもそう見られるのならば仕方ない。他人は私のことを深く知るまで、本当は私には興味が無いのだから。私がそうであるように。とにかく、容姿なのか態度なのか、ひっついてくる人間が私の目の前には現れる。そういうものを拒まないから、その子と過ごす時間が増えた。しかし、思春期の、理論が通っていない、無知故の主張や、センスの無さ、申し訳ないけれどその容姿、声、全てに少しずつ私のライフポイントが少しづつ削られていたようだ。ある日、家に帰って、彼女の顔と声が蘇り、突然号泣。母に、「どうして毎日毎日ブス(外見だけではなく中身も)の顔見て、クソみたいな話を聞かねばならないのか、私の時間を費やさなければならないのか、(私が)可哀想」と言っていた。自分でもびっくり。俺ってひでぇ〜。人を本気で悪く言うことが嫌いで、嫌なことをポロッと母にだけ打ち明けたとしてもおふざけ混じりだったり、ちゃんと自分で論理的に解決しようとしたりフォローするところまで完結させる人間であるため、無意識のうちに自分の中に生まれる負の感情をぎゅうぎゅうと押し込めて溜め込んでいたんだろう。こんな理由もなく突然泣き出して、自己中心的な、自分のことは棚上げな、理不尽なことを言うとは思いもしなかった。
外見は、所作や知性、その品格でいくらでも美しくなれる。声も、話し方や言葉遣いひとつで美しくなれる。かっこよくなくても可愛くなくても美人でなくても、その知性や品格を纏った人間は輝いていて、澄んでいて、美しい。賢い人間は賢い顔をしているでしょ?その内面は顔に出るのよ。この流れでここで例に出すのはあまり乗り気はしないが、分かりやすく自分の言いたいことを表現するために引き合いに出すならば、QuizKnockの面々などまさにそれで、正直アイドルや俳優のように外見で騒がれるような容姿ではないが、私はとても彼らを美しいと思うのだ。かっこいいとも思うし、結婚してくれとも思う笑。頭が良いとかそう言うことではなくて、大学に出ていなくても、近所のカフェの店員であっても、その賢さ美しさが現れている人間はたくさんいる。知性への探究心や自分の興味の向く所へのあのキラキラしたあの瞳は本当に美しい。瞳が美しい人間は、無意味に人の悪口を言わない。全く言わないという訳ではないけれど、何かしらその自分の感覚を他人に押し付けるようなことはしないというか、きちんとしたセオリーを持っているというか、ナイフを振り回して大通りを練り歩く通り魔みたいなことはしない。自分の世界に居つつ、人が訪ねてくれば、快く扉を開き、ルームツアーを目を輝かせながらしてくれる。私はどことは言わないが、ある頭の良い大学に憧れている人間で、それに到達する学力も無いし、手段としての勉強ができなかった、自分の脳みそではどうにもならなかった、というか恐らく自分自身が存在できる、存在して良い場所ではない気さえしている。そこに到達はできないけれど、その家にたどり着いた人間に、自分が住むことはできなくでも、そこの住人にルームツアーをしてもらうことが好きだ。その家の、こだわりの壁紙のクロスの品番や産地など一向に覚えられないし参考にはできないが、そういうものが存在していることを知ることが嬉しいし、クロスの品番や、資材の産地やその資材がどうしてその産地のものでないといけないのかなどのこだわりを目を輝かせながら、私にもその家を建てる際の参考にしてほしいというつもりで丁寧に話してくれるところが好きだ。「よくぞ聞いてくれた」と言わんばかりのあの目の輝きが好きなのだ。自分の住む世界がある人間は輝いているし、自分の世界があるということは、他人にもその人の世界があることをわかっているから、決してその世界を壊して自分の世界だけが存在しようとはしない。このようなものが抜け落ちた、基礎工事がなされていない、”豪邸”に住んでいる気でいるブスがどうしてもダメなのだ。と、あれから、義務教育までの狭い狭い世界から抜け出して気づいた。幸い今の私の周りにはルームツアーをしてくれるタイプの人間がいて、ライフポイントの危機にはエネルギーチャージができる。
私は今でも「一度会った人、自分が関わる人はみんな友達」精神。でも、あなたの友達は?と聞かれたら、とても少数精鋭である。矛盾しているかな?そう思うだろう。でも別に矛盾しているつもりもなくてね。「一度会った人、自分が関わる人はみんな友達」というのは、ある種地引網の漁みたいなものなのだよ。船の上に引き上げてみないとお宝は見つけられない。雑魚を手元に置いておく必要はない。しかし雑魚は大物を釣る餌になり得るからその存在価値はきちんとある。真珠やダイヤのアクセサリーを持っているからと言って、毎日それを身に着ける訳ではないし、たまにはスリーコインズなどで手に入れた、使ううちに錆びていくものを身につけたい日だってあるのだ。
ここまで読み返すと、俺ってひっでぇ〜だな。でも、高校での一件で、ちょっとは自分のことを守らないと身を削られることを学んだ。あなたの友達は?と聞かれて思い浮かぶ数人を大事にするよ。今、少し、これも関連しているであろうことに苦しんでいて、それは恋愛においてなのよね。ざっくり言うと恋愛として人を好きになれない。そして人を好きになれないことに焦りを感じている(と思う。多分。)。周りの人間には恋人がいて、心の安定を手に入れていることが羨ましい(多分。)。厳密には違うのだけど。ざっくりとね、ざっくりと。これはまた別で書こう。
「ネタがないけど何か書きたくて」書く内容じゃないな笑
自分の癖(へき)を晒したいのか、ブスは嫌いだと言いたいのか、なんだろうね。美しいものに囲まれて生きていきたいよね。でも、要素として美しく無いものも必要なのかなぁ。香水のように。
ま、こう言うことをつらつらと書きたくて始めたブログだ。
